2012年12月15日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(119)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(3)


 アリー・イブヌル・ホサイン・イブン・アリーからムハンマド・イブン・アブドッ・ラハマーン・イブン・アブー・ラビーバに伝わり、さらに彼からアムル・イブン・アブー・ジャアファルに伝わった話を、私はアムルから聞いたが、それは前述した、ムハンマド・イブン・ムスリム・イブン・シハーブッ・ズフリーによる伝承と同じ内容であった。

 ある学識者は私に次のような話を語った。イスラーム以前の無知の時代のある夜、サハム族のアルガイタラという名の女占い師のもとに、いつものように精霊が訪れた。精霊は占い師に鳥のような声で語った。

 「私は、知っている、傷つき、殺される日を」。

クライシュがこれを知り、「精霊は何を意味しているか」占い師に尋ねた。精霊は別の夜にまた現われて鳥のような声で言った。

 「死、死とは何か。

 死の中で骨があちこちに投げられる」。

これを聞いたクライシュは理解することができず、将来その意味が分かるまで待つことにした。峡谷でバドルとウフドの戦い〔後のムスリムと多神教徒の戦争〕が起きた時、彼らはこれこそが精霊が伝えた託宣の意味であると理解した。

 アリー・イブン・ナーフィイ・アッジュラシは私に次のように語った。無知の時代、イエメン出身のジャンブ族に占い師がいて、神の使徒のうわさが外部のアラブの間で伝え広まった時、彼らは占い師に、「我らのためにこの男のことを確かめてほしい」と言って、占い師の住む山のふもとに集まった。占い師は日の出とともに彼らの前に現われ、弓にもたれて立った。彼は長い間、頭を天に向けて上げた後、飛び跳ねながら言った。

 「おお、男たちよ、神はムハンマドを祝福し選ばれた、

 心臓と腹を浄化して。

 彼がそなたたちにとどまるのは、おお、男たちよ、短いであろう」。

そして彼は背を向け、やってきた山に帰っていった。

 信頼できるある人が私に、ウスマーン・イブン・アッファーン〔第三代正統カリフ〕の解放奴隷であるアブドッラー・イブン・カアブが伝えた話を語った。アブドッラー・イブン・カアブは、ウマル・イブヌル・ハッターブが預言者のモスクで人びとと共に座っている時、あるアラブがウマルを訪ねてきた、と聞いた。ウマルはその訪問者を見て「彼の仲間はいまだに多神教徒で、古い宗教を捨てていない。彼は無知の時代、占い師だった」、と言った。その男がウマルに挨拶して座り、ウマルが「おまえはムスリムか」と尋ねると、彼は「ムスリムである」と答えた。ウマルは、「だが、そなたは無知の時代、占い師だったではないか」、と聞いた。男は、「とんでもない、信仰者の指揮官よ、あなたは私のことを悪くとっている。あなたが権力に就いて以来、私に対してとったような対応を、あなたが臣下にとったのを見たことがない」、と答えた。ウマルは、「私は神の赦しを願う。無知の時代、我らはこれよりもっと悪いことをしていた。我らは、神が使徒とイスラームによって我らを祝福するまで、偶像や人形を崇拝していた」、と言った。男は、「はい、神にかけて、私は占い師でした」、と答えた。ウマルは、「それならそなたが親しんでいた精霊が言ったことを語ってくれないか」、と聞いた。彼は、「精霊はイスラーム降臨の一ヶ月前頃に現われた・・・」と答えた。ウマルは彼に「お前たちはジンと彼らの混乱について考えたことがあるか、彼らの宗教は絶望、蒙昧無知である、いつまで彼らのラクダの掛け布にしがみついているのか」と語った。さらにウマルは、「無知の時代、アラブが子牛を犠牲にしていた時、偶像のそばで多数のクライシュと共に私は立っていた。それはイスラーム降臨の一ヶ月ほど前のことだったが、我々が犠牲の一部を手に入れようと期待して立っていると、それまで聞いたどの声よりも鋭い声が子牛の腹から出てきて、おお、血よ、赤い血よ、行為は実行された、男は叫ぶ、アッラー以外に神はなしとという言葉を私は聞いた」、と言った。

これが、私がアラブの占い師について聞かされた話である。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(118)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(2)


 「人間の中には、ジンの一部に庇護を求める者さえあって、かえってジンの傲慢さを増長させている」というコーランの言及に関連して、クライシュやほかのアラブたちは、旅をして谷の底に休んで一夜を過ごすとき、「私は今夜、悪霊から逃れ、この谷の主であるジンのもとに避難します」、と言ったものだった。

 ヤアクーブ・イブン・ウトゥバ・イブヌル・ムギーラ・イブヌル・アフナスが私に語った。「降り注いだ流星を最初に見て恐れたサキーフ族の人びとは、彼らと同族にあたるイラージ族のアムル・イブン・ウマイヤという名の最も明敏かつ聡明な男のところに行き、降り注いだ流星を見たかと彼に尋ねた。彼は、私も流星を見た。もしその流星が、陸と海で旅人を案内し、人間の日常生活を助けるため夏と冬の季節の移り変わりを知らせる、よく知られた星であれば、神にかけて、それはこの世の終わり、世界にあるすべての壊滅を意味する。だが、もしそれらのよく知られている星は安定し、ほかの星が流れるのであれば、それは神が人間に意図された何らかの目的のためである、と答えた」。

 ムハンマド・イブン・ムスリム・イブン・シハーブッ・ズフリーは、アリー・イブヌル・ホサイン・イブン・アリー・イブン・アブー・ターリブから、次の話を聞いた。なおこの話については、アリー・イブヌル・ホサインは、アブドッラー・イブヌル・アッバースから聞き、アブドッラーは、何人かのアンサール援助者から伝え聞いたとされている。神の使徒はアンサールたちに、「流れ星についてあなたがたは何と言っていたか」、と尋ねた。彼らは、「私たちは、王が死んだ、王が任命された、子が産まれた、子が死んだ、などと言っていました」、と答えた。「それはそのような意味ではない。神が主の創造について何かを布告された時、玉座の担い手たちはそれを聞いて主を称賛した。すると玉座の担い手の下にいた者たちも主を称賛し、さらに彼らの下の者たちも、彼らの上位者が称賛したので主を称賛し、それは天国の最下位に称賛が到達するまで続いた。すると今度は、最下位の者たちは互いに、なぜと聞きはじめ、それは上位者たちがそうしたからだと聞かされると、彼らは自分たちの上位者にそれならば、あなたがたの上位者たちに理由を聞けばよい、と言った。やがてそれは最上位の玉座の担い手たちにまで到達し、彼らは下位に向かって神が主の創造について布告されたからである、と答えた。この音信は天国から天国へと、議論を提示した最下位の天国にまで降り、そして悪魔たちがそれを盗み聞きし、その時の状況や誤った知識を混合してしまった。それから悪魔たちは占い師のもとに現れて、時には間違いを、時には真実を語ったので、占い師たちは時には正しく、時には間違ったことを人びとに告げた。そこで神は、流星を投げつけて悪魔たちを締め出されたので、占いも断絶し、今日ではもはや存在しない」、と使徒は語られた。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(117)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(1)


 アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士たちは、神の使徒の使命が始まる前、彼の時代が迫りつつあるとき、神の使徒について既に語っていた。ラビと修道士は、聖書の中に見出し、また彼らの預言者たちが言い残していた、神の使徒と彼の出現の時に関する記述について語った。アラブの占い師は、ジン精霊から派遣された悪魔たちが星を投げつけられるまで天でひそかに盗み聞きしていた話を、彼らのもとに現れた悪魔から伝え聞き、語った。当初、アラブは占い師たちが語ることに全く耳を貸さなかった。しかし占い師たちは、神が使徒を遣わされて、自分たちの語った話が実現していることにアラブが気付くまで、絶えず語り続けていた。使徒の使命が主より下った時、悪魔たちは天で盗み聞きすることを禁じられ、星を投げつけられた。彼らはそれまで聞き取り易い場所を陣取って天の音信を盗み聞きし続けていたが、それ以降できなくなった。精霊たちは、主がなにか重大なことをなされようとするために、悪魔たちにこのような仕打ちをされたことを知っていた。ムハンマドに使徒としての啓示が下された際、主は、精霊たちが天の音信を聞くことを禁じた時のことを彼に語られた。精霊たちは神の使徒の出現について以前より知っており、神が重大なことをなされようとしていることを察知して、今こそ使徒に啓示が下ることを理解した。そして彼らは、神の使徒の言動について一切否定しなかった。「言え、私に啓示が下された。一群のジンが、聞いて言ったことだが、われわれは、じつに驚くべきコーランを聞いたものだ。これこそ正道へ導くもの。われわれはこれを信仰しよう。われらの主にだれかを併置するようなことは断じてしない。われらの主のご威厳はいや高く、主は妻を娶らず、息子も持たれない。われわれの一部には愚か者がいて、神について途方もない話をするものだ。われわれは、人間もジンも、神のことについては、嘘をつくようなことはないと思っていたが、人間の中には、ジンの一部に庇護を求める者さえあって、かえってジンの傲慢さを増長させている。彼らは、おまえたちと同じように、神がだれかをよみがえらせたもうようなことはないと思っていた。われわれが天にふれてみると、それは強力な番人と、光り輝く流星でいっぱいであることがわかった。われわれは、そこに席をとって盗み聞くのが常であったが、今では、そうして聞こうとする者は、光り輝く流星が待ちかまえているのを見るだけだ。われわれには、主が地上の者たちに災難がふりかかるように意図なされているのか、それとも、正道に導きたもうおつもりなのか、全然わからない」(七二章一―一〇節)。コーランを初めて聞いた時、ジンたちは、天の音信を聞くことを禁じられたのは、主の啓示が混乱することなく、唯一、使徒を通じて伝えられるためであったという主の真意を悟った。それで彼らは、使徒が語る啓示を信じ、アッラーへの信仰の道を歩んだ。「(コーランを聞いたジンたちは)仲間のところへ帰っていって警告した。彼らは言った、おお、民よ、われわれは、ムーサ以降に下され、それ以前のものを確証する啓典をたしかに聞いた。それは真理と正しい道に導くものである」(四六章二九、三〇節)。

2012年11月7日水曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(116)

ホムスについて(2)


 アラブは、これらの衣服を、「廃棄物」と呼んだ。クライシュはこのような規制を巡礼者に受け入れさせ、アラファで休止させ、そしてそこから退出させてからカアバを裸で回らせた。少なくとも男性は裸でカアバを回り、女性は前あるいは後ろが開いた下着を除いたすべての衣服を脱いでから回った。そこで、カアバを回っていたあるアラブの女性は、次のような詩を詠んだ。

 「今日は一部、あるいは全部が見えてしまう、

 私が共通の財産にならないなら、何も見られることはないのに」。

 聖域の外から入ってきて、普段の衣服でカアバを回った巡礼者たちは、彼ら、あるいはほかの誰もがその衣服を再び使えないように捨てた。あるアラブは、捨ててしまって取り返すことができないが、それでも未練がある衣服について詠んだ。

 「私が彼女に二度と戻れないことは嘆かわしい限りだ、

 あたかも彼女が巡礼の目の前に捨て去られた禁忌のように」。

すなわち、彼女には触れることができない。

 このような状態は、神がムハンマドをお遣わしになって啓示を授け、アッラーへの信仰の法と巡礼の慣習を定められるまで続いた。「それから、みなが駆けおりたところからおまえたちも駆けおりよ。そして神にお赦しを乞え。まことに神は寛容にして慈悲ぶかいお方である」(二章一九九節)。この節はクライシュに呼びかけられており、この節中の「みな」とはアラブを示している。そこで巡礼の戒律では、使徒は彼らをアラファの丘まで駆けあがらせ、そこで停止させ、そしてそこから駆けおろさせた。

 聖域の外から神殿内に持ち込まれた食物と衣服の禁制については、主は使徒に以下のように啓示された。「アーダムの子らよ、いかなる礼拝の場でも身なりを端正にせよ。食べよ、そして飲め。しかし、度を超してはならない。神は度を超す者を愛したまわない。言ってやれ、神が僕たちに出してくださった装身具やおいしい食べ物を禁じたのは、だれなのか。言ってやれ、復活の日には、こういうものは、現世の生活で信仰あった人びとだけのものとなる。このようにわれは、分別ある人たちにしるしを詳しく説明する」(七章三一、三二節)。かくして主は、イスラームと共に主の使徒をお遣わしになったとき、人間の利害に反するクライシュが新たに作り出した規則とホムスの禁制を廃棄なされた。

 ウスマーン・イブン・アブー・スライマーン・イブン・ジュバイル・イブン・ムトイムは、伯父のナーフィイ・イブン・ジュバイルがその父ジュバイル・イブン・ムトイムから伝え聞いた次のような話を、アブドッラー・イブン・アブー・バクル・イブン・ムハンマド・イブン・アムル・イブン・ハズムに伝えている。ジュバイルは、「神からの啓示が授けられる以前の神の使徒に私が出会ったとき、なんと使徒は、彼の部族の男たちと共に動物に乗ってアラファで休止し、そして彼らと共にそこから離れた。それは、神が使徒に授けられた特別の恩寵であった」、と語った。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(115)

ホムスについて(1)


 クライシュたちが自らを聖域の民として意識し、ホムス聖域の民が固守すべき行い〕の概念をつくりあげて、それを実践に移したのが、象の年の前だったか後だったか、私は知らない。彼らは、「我らはイブラヒームの子孫、聖域の民、カアバの管理者、マッカの民である。ほかのアラブは、我らのような権利と地位を有していない。アラブでは、我らを認識するようにはほかの誰をも認識しない。アラブは、聖域を重視すると同じようには、それ以外の土地を重視しない。クライシュがもしそのように振る舞うならば、アラブはクライシュを軽蔑して、彼らは、聖域に与えると同じ重要性を外国の土地に与えていると言うであろう」、と言った。つまり、アラファにとどまり、そこから出発する儀式が、イブラヒームの神への信仰と巡礼の制度であることを認めながら、もしそれを廃止したら、それはホムスとして恥と彼らはとらえた。「我らは聖域の民である。その我らが聖域以外を神聖視するのは、ホムスとして非常に不適切な行いである」、と主張した。彼らは、聖域内で生まれたほかのアラブについても同様に聖域の民として扱い、キナーナとホザーアの部族は、ホムスの概念と実践に同調した。

 クライシュたちは、彼ら自身が決定権を持ち合わせていないにもかかわらず、ホムスとして新たな規則を取り入れ続けた。彼らは、禁忌の状態にある期間は、サワーミルクで作ったチーズを食べたり、バターを純化したりしてはならない、と考えた。また彼らは、禁忌の状態にある時、ラクダの毛で作った天幕には入らず、皮の天幕の中以外では日差しを避けようとしなかった。彼らはこのようなホムスをさらに助長して、大小の巡礼の際、ハラム〔聖域〕の外の人たちが食物を持って入ることを禁止した。また、ホムスに準じた衣装以外でカアバを回ることも禁じた。もし巡礼者がホムスに準じた衣装を持っていない場合、普段の衣服でカアバを回ることはできたが、巡礼後、その衣服は二度と誰も使用しないように捨てなければならなかった。そうでなければ、その巡礼者は裸で回らねばならなかった。

2012年11月3日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(114)

カアバの再建と使徒による審判(3)


 ライス・イブン・アブー・スライムは次のように伝えている。「クライシュたちは、預言者ムハンマドが神から啓示を受ける四十年前にカアバで石を発見した。(彼らの言うことが正しいとすれば)その石には、善をまく者は幸福を収穫する。悪をまく者は災いを収穫する。悪をなし、善で報われることがありえようか。否、いばらから葡萄を収穫できないように、という碑文が刻まれていた」。

 クライシュの諸部族は、各自個別にカアバのための石を集め、それらを積み上げていき、黒石の高さまで積み上げたが、そのとき、どの部族が黒石をその場所に安置するかをめぐって論争が起きた。各部族は、それぞれ自分たちが黒石を持ち上げて置くことを主張して対立し、部族間で同盟を結成して戦闘の準備を整えた。アブドッ・ダールの部族は血でいっぱいに満たされた桶をもってきて、アディーユ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの部族と共に、血の中に手を入れ、そして死ぬことを誓った。そのために彼らは、「血で洗う者たち」と呼ばれた。そのような状況が数日続くと、クライシュの諸部族はモスクに集まり協議したが、問題は全く解決しなかった。

 ある伝承学者が伝えるところによると、その時クライシュの最年長者だったアブー・ウマイヤ・イブヌル・ムギーラ・イブン・アブドッラー・イブン・ウマル・イブン・マハズームは、モスクの門を最初にくぐった者を論争の審判とするように彼らに求めた。彼らはそれに同意した。そして最初に門をくぐって、入って来た者こそが神の使徒ムハンマドだった。彼らはムハンマドを見たとき、「彼は信頼できる者であり、我らは満足した。彼はムハンマドである」、と言った。ムハンマドが彼らのところに行き、彼らが事の次第を彼に説明すると、彼は、「外套を用意してほしい」、と言い、それが用意されると、彼は黒石をその中に置き、各部族に外套の端を握らせ、共同して黒石を持ち上げさせた。彼らが黒石を所定の場所に運び上げると、彼は黒石をその場所に納め、そして作業は続けられた。

 クライシュたちは、啓示がもたらされる以前のムハンマドを、「アルアミーン」信頼できる者と呼んでいた。当初の予定通りにカアバの建造が終わると、アブドゥル・ムッタリブの息子アッズバイルは、クライシュたちにカアバの再建を恐れさせていた蛇について詩を詠んだ。

 「私は鷲が興奮していた蛇を直撃したことに驚いた。

 蛇は不気味にシュルシュルとよく音を立てていた、

 ある時には前に飛び跳ねた。

 我らがカアバの再建を計画したとき、

 それは我らを恐怖させた。

 我らが蛇の攻撃を恐れていたとき、鷲が舞い降りた、

 まっ逆さまに降りて急襲した、

 鷲は蛇を運び去り、我らを解放した、

 もはや妨げられることなく作業するために。

 我らは共同して建造に取り組んだ、

 礎石と土地はそこにあった、

 翌日には土台の高さを上げた、

 労働者は一人も衣服を着なかった。

 神はルアイイの息子たちを祝福された、

 その礎石はいつでも彼らと共にあった、

 アディーユとムッラの部族は、そこに集まった、

 キラーブは彼らより先んじた。

 王は我らに権力を与えてこの地に定住させた、

 報奨は神に求めるものであるからだ」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(113)

カアバの再建と使徒による審判(2)


 アブー・ワハブは、使徒の父の母方の大叔父であった。彼は、あるアラブの詩人が称賛した気高い人物である。

 「もし私が我がラクダをアブー・ワハブの門前にひざまずかせれば、

 ラクダは明日にいっぱいになった鞍袋をつけて旅に出よう、

 彼はルアイイ・イブン・ガーリブを父祖とする二つの部族の血を引く、

最も気高い人だった、

 高貴な系譜をたどってみれば。

 不正の受け入れを拒絶し、与えるときには喜んで、

 彼の祖先は最も高貴な血統だった。

 鍋の下には巨大な灰の山ができ、

 彼はお皿を豪勢な肉をのせたパンで満たす」。

 クライシュたちは、仕事を分担し、門に近い区域は、アブド・マナーフの部族とズフラ族に割当てられた。(天使ジブリールがイスマイールに授けたと伝えられる)黒石と南壁の区域は、マフズーム族とクライシュの諸部族に割当てられた。カアバの裏は、アムル・イブン・ホサイス・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの二人の息子を父祖とするジュマハ族とサハム族に、そしてアルヒジュルの区域はアルハティールと呼ばれ、アブドッ・ダール・イブン・クサイイ、アサド・イブヌル・ウッザ・イブン・クサイイ、アディーユ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの各部族に割当てられた。

 人びとは、神殿を解体することを畏れ、そこから退いた。アルワリード・イブヌル・ムギーラは、「私が取り壊しを始めよう」、と言ってつるはしを取って向かい、しばらくの間、「おお、神よ、我々の畏れを取り除きください。おお、神よ、我らは最善のことをなそうとしているだけです」、と唱えた。そして彼は、二つの角の間の一部を壊した。その夜、人びとは、「我らは警戒しよう。もし、彼が災難に襲われるのならば、解体を取りやめ、元の状態に回復しよう。しかし、彼に何も起こらないのならば、神は我らがしていることを喜ばれているのであり、取り壊しを始めよう」、と言って見守った。翌朝、アルワリードが解体作業に戻ったので、人びとも一緒に仕事し、イブラヒームの礎石が現れるまで作業を続けた。彼らはラクダの糞のように連なった二つの緑色の石を見つけた。

 一人の伝承学者は、「あるクライシュがてこをその石の間に入れて引き離し、動かしたところ、マッカの全域が振動したので、礎石をそのままにしておいた」、と私に語った。

 私は、「クライシュがその礎石の隅にシリア語の記述を発見した」、と聞いている。彼らは、ユダヤ教徒が読んで聞かせるまで、その記述内容の意味を理解できなかった。それには、「余はバッカ〔マッカ〕の主、アッラーである、余は天と地を創造し、太陽と月を形成して、マッカを創造し、それを七人の敬虔な天使で囲んだ。マッカは二つの山がそびえる間にあり、その地の人びとに乳と水の恩恵を授けた」、と記されていた。また私は次のように聞いている。「クライシュたちは、カアバ神殿中のマカーム・イブラヒーム〔イブラヒームのお立ちどころ〕マッカは、神の神聖な家であり、それは三つの方向から支えられている。その地の人びとがこの土地を汚す最初の民にならぬようにと書かれた記述を発見した」。