2012年12月15日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(119)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(3)


 アリー・イブヌル・ホサイン・イブン・アリーからムハンマド・イブン・アブドッ・ラハマーン・イブン・アブー・ラビーバに伝わり、さらに彼からアムル・イブン・アブー・ジャアファルに伝わった話を、私はアムルから聞いたが、それは前述した、ムハンマド・イブン・ムスリム・イブン・シハーブッ・ズフリーによる伝承と同じ内容であった。

 ある学識者は私に次のような話を語った。イスラーム以前の無知の時代のある夜、サハム族のアルガイタラという名の女占い師のもとに、いつものように精霊が訪れた。精霊は占い師に鳥のような声で語った。

 「私は、知っている、傷つき、殺される日を」。

クライシュがこれを知り、「精霊は何を意味しているか」占い師に尋ねた。精霊は別の夜にまた現われて鳥のような声で言った。

 「死、死とは何か。

 死の中で骨があちこちに投げられる」。

これを聞いたクライシュは理解することができず、将来その意味が分かるまで待つことにした。峡谷でバドルとウフドの戦い〔後のムスリムと多神教徒の戦争〕が起きた時、彼らはこれこそが精霊が伝えた託宣の意味であると理解した。

 アリー・イブン・ナーフィイ・アッジュラシは私に次のように語った。無知の時代、イエメン出身のジャンブ族に占い師がいて、神の使徒のうわさが外部のアラブの間で伝え広まった時、彼らは占い師に、「我らのためにこの男のことを確かめてほしい」と言って、占い師の住む山のふもとに集まった。占い師は日の出とともに彼らの前に現われ、弓にもたれて立った。彼は長い間、頭を天に向けて上げた後、飛び跳ねながら言った。

 「おお、男たちよ、神はムハンマドを祝福し選ばれた、

 心臓と腹を浄化して。

 彼がそなたたちにとどまるのは、おお、男たちよ、短いであろう」。

そして彼は背を向け、やってきた山に帰っていった。

 信頼できるある人が私に、ウスマーン・イブン・アッファーン〔第三代正統カリフ〕の解放奴隷であるアブドッラー・イブン・カアブが伝えた話を語った。アブドッラー・イブン・カアブは、ウマル・イブヌル・ハッターブが預言者のモスクで人びとと共に座っている時、あるアラブがウマルを訪ねてきた、と聞いた。ウマルはその訪問者を見て「彼の仲間はいまだに多神教徒で、古い宗教を捨てていない。彼は無知の時代、占い師だった」、と言った。その男がウマルに挨拶して座り、ウマルが「おまえはムスリムか」と尋ねると、彼は「ムスリムである」と答えた。ウマルは、「だが、そなたは無知の時代、占い師だったではないか」、と聞いた。男は、「とんでもない、信仰者の指揮官よ、あなたは私のことを悪くとっている。あなたが権力に就いて以来、私に対してとったような対応を、あなたが臣下にとったのを見たことがない」、と答えた。ウマルは、「私は神の赦しを願う。無知の時代、我らはこれよりもっと悪いことをしていた。我らは、神が使徒とイスラームによって我らを祝福するまで、偶像や人形を崇拝していた」、と言った。男は、「はい、神にかけて、私は占い師でした」、と答えた。ウマルは、「それならそなたが親しんでいた精霊が言ったことを語ってくれないか」、と聞いた。彼は、「精霊はイスラーム降臨の一ヶ月前頃に現われた・・・」と答えた。ウマルは彼に「お前たちはジンと彼らの混乱について考えたことがあるか、彼らの宗教は絶望、蒙昧無知である、いつまで彼らのラクダの掛け布にしがみついているのか」と語った。さらにウマルは、「無知の時代、アラブが子牛を犠牲にしていた時、偶像のそばで多数のクライシュと共に私は立っていた。それはイスラーム降臨の一ヶ月ほど前のことだったが、我々が犠牲の一部を手に入れようと期待して立っていると、それまで聞いたどの声よりも鋭い声が子牛の腹から出てきて、おお、血よ、赤い血よ、行為は実行された、男は叫ぶ、アッラー以外に神はなしとという言葉を私は聞いた」、と言った。

これが、私がアラブの占い師について聞かされた話である。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(118)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(2)


 「人間の中には、ジンの一部に庇護を求める者さえあって、かえってジンの傲慢さを増長させている」というコーランの言及に関連して、クライシュやほかのアラブたちは、旅をして谷の底に休んで一夜を過ごすとき、「私は今夜、悪霊から逃れ、この谷の主であるジンのもとに避難します」、と言ったものだった。

 ヤアクーブ・イブン・ウトゥバ・イブヌル・ムギーラ・イブヌル・アフナスが私に語った。「降り注いだ流星を最初に見て恐れたサキーフ族の人びとは、彼らと同族にあたるイラージ族のアムル・イブン・ウマイヤという名の最も明敏かつ聡明な男のところに行き、降り注いだ流星を見たかと彼に尋ねた。彼は、私も流星を見た。もしその流星が、陸と海で旅人を案内し、人間の日常生活を助けるため夏と冬の季節の移り変わりを知らせる、よく知られた星であれば、神にかけて、それはこの世の終わり、世界にあるすべての壊滅を意味する。だが、もしそれらのよく知られている星は安定し、ほかの星が流れるのであれば、それは神が人間に意図された何らかの目的のためである、と答えた」。

 ムハンマド・イブン・ムスリム・イブン・シハーブッ・ズフリーは、アリー・イブヌル・ホサイン・イブン・アリー・イブン・アブー・ターリブから、次の話を聞いた。なおこの話については、アリー・イブヌル・ホサインは、アブドッラー・イブヌル・アッバースから聞き、アブドッラーは、何人かのアンサール援助者から伝え聞いたとされている。神の使徒はアンサールたちに、「流れ星についてあなたがたは何と言っていたか」、と尋ねた。彼らは、「私たちは、王が死んだ、王が任命された、子が産まれた、子が死んだ、などと言っていました」、と答えた。「それはそのような意味ではない。神が主の創造について何かを布告された時、玉座の担い手たちはそれを聞いて主を称賛した。すると玉座の担い手の下にいた者たちも主を称賛し、さらに彼らの下の者たちも、彼らの上位者が称賛したので主を称賛し、それは天国の最下位に称賛が到達するまで続いた。すると今度は、最下位の者たちは互いに、なぜと聞きはじめ、それは上位者たちがそうしたからだと聞かされると、彼らは自分たちの上位者にそれならば、あなたがたの上位者たちに理由を聞けばよい、と言った。やがてそれは最上位の玉座の担い手たちにまで到達し、彼らは下位に向かって神が主の創造について布告されたからである、と答えた。この音信は天国から天国へと、議論を提示した最下位の天国にまで降り、そして悪魔たちがそれを盗み聞きし、その時の状況や誤った知識を混合してしまった。それから悪魔たちは占い師のもとに現れて、時には間違いを、時には真実を語ったので、占い師たちは時には正しく、時には間違ったことを人びとに告げた。そこで神は、流星を投げつけて悪魔たちを締め出されたので、占いも断絶し、今日ではもはや存在しない」、と使徒は語られた。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(117)

アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士らによる神の使徒に関する報告(1)


 アラブの占い師、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道士たちは、神の使徒の使命が始まる前、彼の時代が迫りつつあるとき、神の使徒について既に語っていた。ラビと修道士は、聖書の中に見出し、また彼らの預言者たちが言い残していた、神の使徒と彼の出現の時に関する記述について語った。アラブの占い師は、ジン精霊から派遣された悪魔たちが星を投げつけられるまで天でひそかに盗み聞きしていた話を、彼らのもとに現れた悪魔から伝え聞き、語った。当初、アラブは占い師たちが語ることに全く耳を貸さなかった。しかし占い師たちは、神が使徒を遣わされて、自分たちの語った話が実現していることにアラブが気付くまで、絶えず語り続けていた。使徒の使命が主より下った時、悪魔たちは天で盗み聞きすることを禁じられ、星を投げつけられた。彼らはそれまで聞き取り易い場所を陣取って天の音信を盗み聞きし続けていたが、それ以降できなくなった。精霊たちは、主がなにか重大なことをなされようとするために、悪魔たちにこのような仕打ちをされたことを知っていた。ムハンマドに使徒としての啓示が下された際、主は、精霊たちが天の音信を聞くことを禁じた時のことを彼に語られた。精霊たちは神の使徒の出現について以前より知っており、神が重大なことをなされようとしていることを察知して、今こそ使徒に啓示が下ることを理解した。そして彼らは、神の使徒の言動について一切否定しなかった。「言え、私に啓示が下された。一群のジンが、聞いて言ったことだが、われわれは、じつに驚くべきコーランを聞いたものだ。これこそ正道へ導くもの。われわれはこれを信仰しよう。われらの主にだれかを併置するようなことは断じてしない。われらの主のご威厳はいや高く、主は妻を娶らず、息子も持たれない。われわれの一部には愚か者がいて、神について途方もない話をするものだ。われわれは、人間もジンも、神のことについては、嘘をつくようなことはないと思っていたが、人間の中には、ジンの一部に庇護を求める者さえあって、かえってジンの傲慢さを増長させている。彼らは、おまえたちと同じように、神がだれかをよみがえらせたもうようなことはないと思っていた。われわれが天にふれてみると、それは強力な番人と、光り輝く流星でいっぱいであることがわかった。われわれは、そこに席をとって盗み聞くのが常であったが、今では、そうして聞こうとする者は、光り輝く流星が待ちかまえているのを見るだけだ。われわれには、主が地上の者たちに災難がふりかかるように意図なされているのか、それとも、正道に導きたもうおつもりなのか、全然わからない」(七二章一―一〇節)。コーランを初めて聞いた時、ジンたちは、天の音信を聞くことを禁じられたのは、主の啓示が混乱することなく、唯一、使徒を通じて伝えられるためであったという主の真意を悟った。それで彼らは、使徒が語る啓示を信じ、アッラーへの信仰の道を歩んだ。「(コーランを聞いたジンたちは)仲間のところへ帰っていって警告した。彼らは言った、おお、民よ、われわれは、ムーサ以降に下され、それ以前のものを確証する啓典をたしかに聞いた。それは真理と正しい道に導くものである」(四六章二九、三〇節)。

2012年11月7日水曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(116)

ホムスについて(2)


 アラブは、これらの衣服を、「廃棄物」と呼んだ。クライシュはこのような規制を巡礼者に受け入れさせ、アラファで休止させ、そしてそこから退出させてからカアバを裸で回らせた。少なくとも男性は裸でカアバを回り、女性は前あるいは後ろが開いた下着を除いたすべての衣服を脱いでから回った。そこで、カアバを回っていたあるアラブの女性は、次のような詩を詠んだ。

 「今日は一部、あるいは全部が見えてしまう、

 私が共通の財産にならないなら、何も見られることはないのに」。

 聖域の外から入ってきて、普段の衣服でカアバを回った巡礼者たちは、彼ら、あるいはほかの誰もがその衣服を再び使えないように捨てた。あるアラブは、捨ててしまって取り返すことができないが、それでも未練がある衣服について詠んだ。

 「私が彼女に二度と戻れないことは嘆かわしい限りだ、

 あたかも彼女が巡礼の目の前に捨て去られた禁忌のように」。

すなわち、彼女には触れることができない。

 このような状態は、神がムハンマドをお遣わしになって啓示を授け、アッラーへの信仰の法と巡礼の慣習を定められるまで続いた。「それから、みなが駆けおりたところからおまえたちも駆けおりよ。そして神にお赦しを乞え。まことに神は寛容にして慈悲ぶかいお方である」(二章一九九節)。この節はクライシュに呼びかけられており、この節中の「みな」とはアラブを示している。そこで巡礼の戒律では、使徒は彼らをアラファの丘まで駆けあがらせ、そこで停止させ、そしてそこから駆けおろさせた。

 聖域の外から神殿内に持ち込まれた食物と衣服の禁制については、主は使徒に以下のように啓示された。「アーダムの子らよ、いかなる礼拝の場でも身なりを端正にせよ。食べよ、そして飲め。しかし、度を超してはならない。神は度を超す者を愛したまわない。言ってやれ、神が僕たちに出してくださった装身具やおいしい食べ物を禁じたのは、だれなのか。言ってやれ、復活の日には、こういうものは、現世の生活で信仰あった人びとだけのものとなる。このようにわれは、分別ある人たちにしるしを詳しく説明する」(七章三一、三二節)。かくして主は、イスラームと共に主の使徒をお遣わしになったとき、人間の利害に反するクライシュが新たに作り出した規則とホムスの禁制を廃棄なされた。

 ウスマーン・イブン・アブー・スライマーン・イブン・ジュバイル・イブン・ムトイムは、伯父のナーフィイ・イブン・ジュバイルがその父ジュバイル・イブン・ムトイムから伝え聞いた次のような話を、アブドッラー・イブン・アブー・バクル・イブン・ムハンマド・イブン・アムル・イブン・ハズムに伝えている。ジュバイルは、「神からの啓示が授けられる以前の神の使徒に私が出会ったとき、なんと使徒は、彼の部族の男たちと共に動物に乗ってアラファで休止し、そして彼らと共にそこから離れた。それは、神が使徒に授けられた特別の恩寵であった」、と語った。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(115)

ホムスについて(1)


 クライシュたちが自らを聖域の民として意識し、ホムス聖域の民が固守すべき行い〕の概念をつくりあげて、それを実践に移したのが、象の年の前だったか後だったか、私は知らない。彼らは、「我らはイブラヒームの子孫、聖域の民、カアバの管理者、マッカの民である。ほかのアラブは、我らのような権利と地位を有していない。アラブでは、我らを認識するようにはほかの誰をも認識しない。アラブは、聖域を重視すると同じようには、それ以外の土地を重視しない。クライシュがもしそのように振る舞うならば、アラブはクライシュを軽蔑して、彼らは、聖域に与えると同じ重要性を外国の土地に与えていると言うであろう」、と言った。つまり、アラファにとどまり、そこから出発する儀式が、イブラヒームの神への信仰と巡礼の制度であることを認めながら、もしそれを廃止したら、それはホムスとして恥と彼らはとらえた。「我らは聖域の民である。その我らが聖域以外を神聖視するのは、ホムスとして非常に不適切な行いである」、と主張した。彼らは、聖域内で生まれたほかのアラブについても同様に聖域の民として扱い、キナーナとホザーアの部族は、ホムスの概念と実践に同調した。

 クライシュたちは、彼ら自身が決定権を持ち合わせていないにもかかわらず、ホムスとして新たな規則を取り入れ続けた。彼らは、禁忌の状態にある期間は、サワーミルクで作ったチーズを食べたり、バターを純化したりしてはならない、と考えた。また彼らは、禁忌の状態にある時、ラクダの毛で作った天幕には入らず、皮の天幕の中以外では日差しを避けようとしなかった。彼らはこのようなホムスをさらに助長して、大小の巡礼の際、ハラム〔聖域〕の外の人たちが食物を持って入ることを禁止した。また、ホムスに準じた衣装以外でカアバを回ることも禁じた。もし巡礼者がホムスに準じた衣装を持っていない場合、普段の衣服でカアバを回ることはできたが、巡礼後、その衣服は二度と誰も使用しないように捨てなければならなかった。そうでなければ、その巡礼者は裸で回らねばならなかった。

2012年11月3日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(114)

カアバの再建と使徒による審判(3)


 ライス・イブン・アブー・スライムは次のように伝えている。「クライシュたちは、預言者ムハンマドが神から啓示を受ける四十年前にカアバで石を発見した。(彼らの言うことが正しいとすれば)その石には、善をまく者は幸福を収穫する。悪をまく者は災いを収穫する。悪をなし、善で報われることがありえようか。否、いばらから葡萄を収穫できないように、という碑文が刻まれていた」。

 クライシュの諸部族は、各自個別にカアバのための石を集め、それらを積み上げていき、黒石の高さまで積み上げたが、そのとき、どの部族が黒石をその場所に安置するかをめぐって論争が起きた。各部族は、それぞれ自分たちが黒石を持ち上げて置くことを主張して対立し、部族間で同盟を結成して戦闘の準備を整えた。アブドッ・ダールの部族は血でいっぱいに満たされた桶をもってきて、アディーユ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの部族と共に、血の中に手を入れ、そして死ぬことを誓った。そのために彼らは、「血で洗う者たち」と呼ばれた。そのような状況が数日続くと、クライシュの諸部族はモスクに集まり協議したが、問題は全く解決しなかった。

 ある伝承学者が伝えるところによると、その時クライシュの最年長者だったアブー・ウマイヤ・イブヌル・ムギーラ・イブン・アブドッラー・イブン・ウマル・イブン・マハズームは、モスクの門を最初にくぐった者を論争の審判とするように彼らに求めた。彼らはそれに同意した。そして最初に門をくぐって、入って来た者こそが神の使徒ムハンマドだった。彼らはムハンマドを見たとき、「彼は信頼できる者であり、我らは満足した。彼はムハンマドである」、と言った。ムハンマドが彼らのところに行き、彼らが事の次第を彼に説明すると、彼は、「外套を用意してほしい」、と言い、それが用意されると、彼は黒石をその中に置き、各部族に外套の端を握らせ、共同して黒石を持ち上げさせた。彼らが黒石を所定の場所に運び上げると、彼は黒石をその場所に納め、そして作業は続けられた。

 クライシュたちは、啓示がもたらされる以前のムハンマドを、「アルアミーン」信頼できる者と呼んでいた。当初の予定通りにカアバの建造が終わると、アブドゥル・ムッタリブの息子アッズバイルは、クライシュたちにカアバの再建を恐れさせていた蛇について詩を詠んだ。

 「私は鷲が興奮していた蛇を直撃したことに驚いた。

 蛇は不気味にシュルシュルとよく音を立てていた、

 ある時には前に飛び跳ねた。

 我らがカアバの再建を計画したとき、

 それは我らを恐怖させた。

 我らが蛇の攻撃を恐れていたとき、鷲が舞い降りた、

 まっ逆さまに降りて急襲した、

 鷲は蛇を運び去り、我らを解放した、

 もはや妨げられることなく作業するために。

 我らは共同して建造に取り組んだ、

 礎石と土地はそこにあった、

 翌日には土台の高さを上げた、

 労働者は一人も衣服を着なかった。

 神はルアイイの息子たちを祝福された、

 その礎石はいつでも彼らと共にあった、

 アディーユとムッラの部族は、そこに集まった、

 キラーブは彼らより先んじた。

 王は我らに権力を与えてこの地に定住させた、

 報奨は神に求めるものであるからだ」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(113)

カアバの再建と使徒による審判(2)


 アブー・ワハブは、使徒の父の母方の大叔父であった。彼は、あるアラブの詩人が称賛した気高い人物である。

 「もし私が我がラクダをアブー・ワハブの門前にひざまずかせれば、

 ラクダは明日にいっぱいになった鞍袋をつけて旅に出よう、

 彼はルアイイ・イブン・ガーリブを父祖とする二つの部族の血を引く、

最も気高い人だった、

 高貴な系譜をたどってみれば。

 不正の受け入れを拒絶し、与えるときには喜んで、

 彼の祖先は最も高貴な血統だった。

 鍋の下には巨大な灰の山ができ、

 彼はお皿を豪勢な肉をのせたパンで満たす」。

 クライシュたちは、仕事を分担し、門に近い区域は、アブド・マナーフの部族とズフラ族に割当てられた。(天使ジブリールがイスマイールに授けたと伝えられる)黒石と南壁の区域は、マフズーム族とクライシュの諸部族に割当てられた。カアバの裏は、アムル・イブン・ホサイス・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの二人の息子を父祖とするジュマハ族とサハム族に、そしてアルヒジュルの区域はアルハティールと呼ばれ、アブドッ・ダール・イブン・クサイイ、アサド・イブヌル・ウッザ・イブン・クサイイ、アディーユ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの各部族に割当てられた。

 人びとは、神殿を解体することを畏れ、そこから退いた。アルワリード・イブヌル・ムギーラは、「私が取り壊しを始めよう」、と言ってつるはしを取って向かい、しばらくの間、「おお、神よ、我々の畏れを取り除きください。おお、神よ、我らは最善のことをなそうとしているだけです」、と唱えた。そして彼は、二つの角の間の一部を壊した。その夜、人びとは、「我らは警戒しよう。もし、彼が災難に襲われるのならば、解体を取りやめ、元の状態に回復しよう。しかし、彼に何も起こらないのならば、神は我らがしていることを喜ばれているのであり、取り壊しを始めよう」、と言って見守った。翌朝、アルワリードが解体作業に戻ったので、人びとも一緒に仕事し、イブラヒームの礎石が現れるまで作業を続けた。彼らはラクダの糞のように連なった二つの緑色の石を見つけた。

 一人の伝承学者は、「あるクライシュがてこをその石の間に入れて引き離し、動かしたところ、マッカの全域が振動したので、礎石をそのままにしておいた」、と私に語った。

 私は、「クライシュがその礎石の隅にシリア語の記述を発見した」、と聞いている。彼らは、ユダヤ教徒が読んで聞かせるまで、その記述内容の意味を理解できなかった。それには、「余はバッカ〔マッカ〕の主、アッラーである、余は天と地を創造し、太陽と月を形成して、マッカを創造し、それを七人の敬虔な天使で囲んだ。マッカは二つの山がそびえる間にあり、その地の人びとに乳と水の恩恵を授けた」、と記されていた。また私は次のように聞いている。「クライシュたちは、カアバ神殿中のマカーム・イブラヒーム〔イブラヒームのお立ちどころ〕マッカは、神の神聖な家であり、それは三つの方向から支えられている。その地の人びとがこの土地を汚す最初の民にならぬようにと書かれた記述を発見した」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(112)

カアバの再建と使徒ムハンマドによる審判(1)


 使徒ムハンマドが三十五歳の時、クライシュは、カアバを再建することを決めた。カアバはぐらついた石で、人の身長よりも高く建設されており、彼らは、神殿の中央にあった井戸に保管されていた宝物の一部が盗まれたため、神殿の高さを上げて屋根で覆おうと計画したが、畏敬の念から解体を避けた。宝物は、ホザーア一族のムライフ・イブン・アムルの部族の解放奴隷、ドゥワイクのところで発見された。クライシュは、彼の手首を切断した。人びとは、宝物を盗んだ者がドゥワイクに預けた、と伝えている。

 そのころ、ギリシャの商人が所有する船がジッダの海岸で難破し、漂着していた。彼らは難破船の木材をカアバの屋根に使おうとした。また、ちょうどそのころ、マッカにコプト教徒〔キリスト教の一宗派〕の大工が滞在しており、必要とするものは人力も材料もすべてそろっていた。ところが、神聖な貢物が投げ入れられていた井戸から一匹の毒蛇が毎日、出てきて、カアバの壁で日光浴をしていた。誰かが近づこうとすると、蛇はかま首をもたげて、シュルシュルと声を発して口を開いて威嚇したため、人びとは恐怖で怖気づいた。ある日、蛇がそのようにして日光浴をしていると、神は鳥をお遣わしになり、蛇をくわえさせて飛び去らしめられた。するとクライシュは、「今や我らは、神が我らの計画していることに喜んでおられることを期待する。友人の大工はおり、木材も手に入り、神は蛇を取り除かれた」、と言って喜んだ。彼らが神殿の解体と再建を決め、アブー・ワハブ・イブン・アムル・イブン・アーイズ・イブン・アブド・イブン・イムラーン・イブン・マフズームが立ち上がり、カアバの石を手に取ると、石は彼の手から飛び跳ね、元の位置に戻った。その時彼は、「おお、クライシュよ、この建物の中に、不正をして得た利益、娼婦の報酬、高利貸しの金、不正あるいは暴力によるいかなるものも、持ち込んではならない」、と言って戒めた。人びとは、この言葉をアルワリード・イブヌル・ムギーラ・イブン・アブドッラー・イブン・ウマル・イブン・マフズームが言ったこととして伝えている。

 アブドッラー・イブン・アブー・ナジーフル・マッキが、アブドッラー・イブン・サフワーン・イブン・ウマイヤ・イブン・ハラフ・イブン・ワハブ・イブン・ホザーファ・イブン・ジュマハ・イブン・アムル・イブン・ホサイス・イブン・カアブ・イブン・ルアイイから伝え聞いた話を私に語った。アブドッラー・イブン・サフワーンは、「ジャアダ・イブン・ホバイラ・イブン・アブー・ワハブ・イブン・アムルの息子がカアバを回っているのを見た」と言い、アブドッラー・イブン・アブー・ナジーフル・マッキが、「その者は誰か」と尋ねた。アブドッラー・イブン・サフワーンは、「その者は、クライシュが解体を決めたとき、カアバから石を取り、その石が手から飛び跳ね、元の位置に戻ったため、人々に戒めの言葉を発したあのアブー・ワハブの祖父である」、と言った。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(111)

使徒ムハンマドとハディージャの結婚


 ハディージャは、威厳があり裕福な商人の女性であった。クライシュ一族は、商業を天分の才とする民であったので、ハディージャは、商品を外国に運ぶため、利益分配の方式に基づいて男性たちを雇っていた。彼女は、使徒ムハンマドの誠実さと信頼性、そして気高い徳性について聞いていたので、彼に使いをやり、彼女の商品をシリアに運んでいって取引すれば、ほかの人に払うよりも彼には多く報いる、と提案した。ムハンマドは、マイサラという名の、彼女の召使を伴う予定であった。彼はハディージャの申し出を受け入れ、マイサラと共に出発してシリアに到着した。

 使徒が、ある修道士の庵のそばの木陰で休んでいると、修道士が出てきて、マイサラに、「樹の下で休んでいるあの人は誰か」と尋ねた。マイサラが、「彼はクライシュ一族の者で、聖地を護持している民である」、と答えると、修道士は、「預言者以外に、この樹の下に座る者はいない」、と感嘆の声を上げた。

 預言者ムハンマドは、運んできた商品を売り、購入すべき物品を買って、マッカへの帰途についた。真昼の暑さの盛り、預言者がラクダに乗っていると、マイサラは、二人の天使が預言者を太陽の光からさえぎっているのを見たと伝えられている。ハディージャが、彼が運んできた商品を売ると、いつもの二倍、あるいはそれ以上になった。マイサラは、預言者を日陰に入れていた二人の天使と、修道士の言った言葉について、彼女に報告した。ハディージャは、しっかりとして、気高く、聡明な女性で、神が彼女を祝福して授けられた資質を有していた。マイサラから事の次第を聞いたハディージャは、神の使徒に使いをやり(そのように伝えられている)、「おお、私の従兄弟よ、私たちの氏族関係や民の中でのあなたの評判の高さ、そしてあなたの信頼性と善良さ、そして誠実さから、私はあなたを好きになりました」、と伝えた。そして彼女は、結婚を申し込んだ。そのころハディージャは、クライシュ一族のなかで最も育ちの良い女性であり、最も優れた威厳を備え、最も豊かであった。人びとは皆、できるものならば、彼女と結婚して彼女の資産を共有したいと願望していた。

 ハディージャの祖父、アサド・イブン・アブドゥル・ウッザと、ムハンマドの曽祖父、ハーシム・イブン・アブド・マナーフは従兄弟の関係にある。

 ハディージャは、ホワイリド・イブン・アサド・イブン・アブドゥル・ウッザ・イブン・クサイイ・イブン・キラーブ・イブン・ムッラ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルの娘である。彼女の母は、ファーティマ・ビント・ザーイダ・イブヌル・アサンム・イブン・ラワーハ・イブン・ハジャル・イブン・アブド・イブン・マイース・イブン・アーミル・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルであった。彼女の母方の祖母は、ハーラ・ビント・アブド・マナーフ・イブヌル・ハーリス・イブン・アムル・イブン・ムンキズ・イブン・アムル・イブン・マイース・イブン・アーミル・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルで、彼女の母方の曾祖母は、キラーバ・ビント・スアイド・イブン・サアド・イブン・サハム・イブン・アムル・イブン・ホサイス・イブン・カアブ・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルだった。

 神の使徒は、おじたちにハディージャの結婚申し込みについて報告し、叔父のハムザ・イブン・アブドゥル・ムッタリブと共に、彼女の父であるホワイリド・イブン・アサドを訪れ、ハディージャとの結婚を申し込み、彼女と結婚した。

 彼女は、イブラヒームを除いて、使徒のすべての子供たちの母である。彼らは、アルカーシム(神の使徒はアブル・カーシムとしても知られていた)、アッターヒル、アッタイイブ、ザイナブ、ルカイヤ、ウンム・カルスーム、そしてファーティマである。

 アルカーシム、アッターヒル、アッタイイブは、イスラーム以前の時代に世を去ったが、使徒の娘たちは全員、イスラームの時代まで生き、イスラームを受容し、使徒と共にマディーナに聖遷した。

 ハディージャは、彼女の従兄弟で、聖書を研究したキリスト教徒の学者であったワラカ・イブン・ナウファル・イブン・アサド・イブン・アブドゥル・ウッザに、彼女の奴隷マイサラが語った、かの修道士が言ったことや、マイサラが二人の天使がいかにして使徒ムハンマドのために日陰を作ったかを目撃したことについて報告した。すると彼は、「もしこれが真実であれば、ハディージャよ、まさしくムハンマドは、この民の預言者に違いない。私は、この民の預言者が待ち望まれていることを知っている。預言者の時代が到来した」と、あるいはそのようなことを意味する言葉を語った。このときまでワラカは、「預言者の到来をいつまで待てばよいのか」、と言い、しびれをきらしながら時間を過ごしていた。彼はこれに関連して次のように詩を詠んだ。

 「私はしばしば涙を誘う熱望を覚えながらも、

平静を保ち、粘り強く耐えていた。

 確証的な証拠はハディージャから入った。

 私は長い間待ち続けねばならなかった、おお、ハディージャよ、

 マッカの谷で、私の宿願は、

 そなたの言葉に結末を見た。

 そなたが私に語った修道士の言葉が、

 間違いであったならば、私は耐えられない。

 ムハンマドが我らを導くという言葉が、

 彼に反対する人びとを圧倒して。

 そしてこの地に輝かしい光が出現するという、

 混乱から人びとを回復するために。

 彼の敵が災難に見舞われ、

 彼の友人が勝利する。

 私はその時、その場で見るであろう、

 なぜならば私こそは彼の最初の支持者であらねばならぬから、

 クライシュが憎むものを支援する、

 いかに彼らのマッカで彼らが声高に叫ぼうとも。

 私は皆が嫌う彼と共に天国に導かれることを希求する、

 玉座の主の下に、たとえ彼らがさげすもうとも。

 主を疑わないことが愚劣だと言うのか、

 彼を選び、星の高みに据えた主を。

 彼らと私が生きれば、ことが成就されるであろう、

 不信仰者が混乱に投げ込まれることが。

 そしてもし私が死せば、それは死せる者の定めだ、

 死と腐朽を被ることは」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(110)

アルフィジャール(冒涜)戦争


 この戦争は、使徒が二十歳の時に起きた。二つの部族、キナーナとカイス・アイラーンが、戦いを禁ずる神聖月に戦い、神を冒瀆する行いであったため、そのように呼ばれている。クライシュとキナーナの部族の側の首領は、ハルブ・イブン・ウマイヤ・イブン・アブド・シャムスであった。戦闘の始まりではカイスが優勢だったが、真昼までにキナーナ側が勝利した

 この戦争は西暦五八〇年ころから五九〇年ころにかけて断続的に継続した。マッカとマディーナが位置する南ヒジャーズ地方では、大部族連合のハワーズィンが強大な勢力を持ち、クライシュ族と敵対関係にあった。対立の原因は明らかではないが、クライシュがビザンチン帝国の勢力下にあったシリアと交易し、ハワーズィンはペルシャ帝国の属国だったヒーラのアンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルと交易していたことにあったらしい。いずれにせよ、アラビア半島が、東西両超大国の対立に巻き込まれていたのは明らかである。

クライシュと同盟していたキナーナ族が、神聖月に、ハワーズィンの保護下でイラクへの隊商を指揮していたカイス・アイラーンの族長を殺害したことが原因で、血の復讐戦争が始まった。伝承によれば、預言者はおじたちと一緒にこの戦争に参戦した。ハワーズィンは後に、イスラーム軍によって征服されムスリムに改宗した。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(109)

バヒーラの物語


 アブー・ターリブは、隊商を連れてシリアに商売に行くことを計画し、旅の準備がすべて終わると、神の使徒ムハンマドは、伯父にまとわりつき、一緒に連れて行ってほしい、自分は伯父と離れ離れになってはいけない、あるいはそのような趣旨の言葉を言った(そのように伝えられている)。隊商はシリアのブスラーに到着した。ブスラーには、バヒーラと言う名のキリスト教の知識に精通した修道士が庵に住んでいた。当時、修道士はその庵を離れることはなく、世代から世代に受け継がれた書によって知識を修得していた。またその庵も昔からあったとされている(そのように伝えられている)。彼らはそれまでしばしばバヒーラのそばを通りかかったが、決して彼は話かけることはなく、関心も示すことはなかった。それにもかかわらず、その年に限って、彼らが庵の近くで休むと、バヒーラは彼らのために盛大な宴を催した。それは彼が庵の中で何かを見たからと伝えられている。バヒーラが庵の内にいたとき、近づいてくる隊商の中に神の使徒を発見し、神の使徒の頭上に雲が日陰を作っているのを見た、と言われている。彼らは修道士のそばの樹の陰に来て、そこで止まった。さらにバヒーラは、雲が樹の真上に来て、神の使徒が木陰に入ると、今度は木の枝が曲がり、使徒を覆うのを目撃した。彼はそれを見届けると庵から飛び出し、彼らに「私はあなたがたのために食事を用意しました、おお、クライシュの方々よ、私はあなたがた全員に、偉い方も下僕の方も、奴隷も自由人も、皆来ていただきたいのです」、と伝えた。彼らの一人は、「神にかけて、バヒーラよ、今日は何か珍しいことが起きたようだ、私たちはしばしばここを通りかかったのに、こんなにごちそうをしてくれたことはなかった、一体、今日はどうしたというのだろう」、と彼に言った。「その通りです。しかしあなたがたは客人ですから、食事を用意してもてなしたいのです」、と彼は答えた。そこで彼らはバヒーラのもとに集まった。しかし、神の使徒はあまりに幼かったため、彼らは彼を木陰の荷物と共に残していった。バヒーラは彼らを見て、自分が書で学んで知っていた兆候を見つけられなかったので、「一人も残さず、あなた方全員を私の宴に来させてください」と言った。彼らは、「荷物のところに残っている、一番幼い少年を除けば、来るべき者は誰も残ってはいない」と告げた。彼は、「一緒に食事をするため、少年も呼ぶように」と言った。そこで、クライシュの一人が、「アッラートとアルウッザにかけて、アブドッラー・イブン・アブドゥル・ムッタリブの息子を残してきて、我らは悪いことをしてしまった」、と言った。そう言うとその男は、立ち上がって使徒を抱きかかえ、皆と一緒に座らせた。バヒーラは使徒に会うと、彼を注意深く観察し、彼の身体を見たとき、キリスト教徒の書物に記されていた、神の使徒の特徴を発見した。皆が食事を終え立ち去ってしまうと、バヒーラは立ち上がり、「坊や、アッラートとアルウッザにかけて聞くが、答えておくれ」、と使徒に言った。バヒーラは、使徒と共にいた人びとがこれらの偶像にかけて誓っていたのを聞いていたため、そのように言ったまでであった。これに対し神の使徒は、「アッラートとアルウッザにかけて聞かないでください。アッラーにかけて、これらの二つの偶像ほど、私にとって忌まわしいものはないからです」、と答えたと言われている。バヒーラが、「それではアッラーにかけて、私が聞くことに答えてほしい」、と言うと、神の使徒が、「何でも聞いてください」、と答えたので、使徒が夢の中で見たこと、彼の習慣、彼についての出来事全般について聞き始め、神の使徒がバヒーラに語ったことは、彼が神の使徒の特徴について知っていたことと一致していた。そして彼が使徒の背中を見たとき、両肩の間の、まさしく書物に記述されているその場所に、使徒の徳性を示す刻印を発見した。バヒーラは、質問を終えるとアブー・ターリブに少年との関係を尋ね、彼が自分の息子であると答えると、「そんなはずはない、この少年の父親が生きていることは、あり得ないからである」、と言った。それで彼が、「私の甥です」、と答えると、「少年の父親はどうしたのか」と今度は尋ねたので、彼は、「少年が生まれる前に亡くなってしまった」と答えた。バヒーラは、「あなたは真実を語った。あなたの甥をお国に連れ帰り、ユダヤ教徒から注意深くお守りしなさい、なぜならアッラーにかけて、彼らが彼を見て、彼について私が知っていることを知ってしまったならば、彼に悪を働くからです。あなたの甥の前途には、偉大な未来が開けているので、早く故郷にお帰りなさい」、と告げた。

 アブー・ターリブは、シリアで商売を終えると、使徒を保護して早々にマッカに引き返した。言い伝えられるところによると、啓典の民、ズライル、タンマーム、ダリースは、使徒が伯父と旅しているとき、使徒の内にバヒーラが認めたものと同じものを発見して、彼に近づこうとしたが、バヒーラは、使徒の特徴に関する聖書の記述を思い起こし、神を畏敬するように彼らに警告し、彼に近づこうとしても成功しないことを分からせて、彼らを使徒から遠ざけた。バヒーラは、人びとが自分の警告を真実と理解するまで決して譲らなかったので、彼らは使徒から離れ、去っていった。神の使徒は、神が使徒の任務によって彼を讃えることを望まれたため、神に守護され、異教の汚れから遠ざけられた。彼は、男らしさでは彼の民の中で最も優れ、徳性は最も気高く、系譜は最も高貴で、最良の隣人となり、人柄は最も優しく誠実で信頼され、気高さと高貴さによって汚れと退廃した道徳から最も遠ざけられ、神によって植え込まれた徳性によって、民の中で「信頼される人」として知られるようになるまで成長した。私は、使徒が自らのことを次のように語っていたと聞かされた。「私は、クライシュの少年たちに混じって、遊戯の準備のために石を運んだものだった。私たちはみな衣を脱ぎ裸になって、それを首に巻きつけて石運びをしていた。私も同じようにして歩き回っていると、目に見えない姿が、衣をまといなさいと言って私を非常に激しく打った。そこで私は、衣を取ってしっかりと身にまとい、仲間の中で一人だけ服を着て石を首に担ぐようになった」、と使徒はおっしゃって、イスラーム以前の少年時代においても、神がいかにして自分を守ってくださっていたかをよく語られていた。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(108)

使徒の保護者となったアブー・ターリブ


 アブドゥル・ムッタリブは、使徒ムハンマドの保護を自分の死後は、使徒の伯父にあたるアブー・ターリブに委ねたので(そのように伝えられている)、彼はこの伯父と一緒に暮らした。使徒の父であるアブドッラーとアブー・ターリブは、母、ファーティマ・ビント・アムル・イブン・アーイズ・イブン・アブド・イブン・イムラーン・イブン・マフズームを同じくする兄弟であった。そのため祖父アブドゥル・ムッタリブの死後、使徒の世話をしていたのはアブー・ターリブで、使徒は彼の家族の一員となった。

 ヤヒヤ・イブヌッバード・イブン・アブドッラー・イブヌッ・ズバイルは、父から伝え聞いた話を私に語った。「リヒブ族の男の占い師がマッカに来る度に、クライシュたちは少年たちを彼に会わせ、運勢を占ってもらっていた。使徒がまだ子供だったころ、アブー・ターリブは、皆と一緒に使徒を連れていった。占い師は使徒を見つけると、ひどく惹きつけられため、突然、その少年をここに連れて来い、と叫んだ。アブー・ターリブが、彼のあまりの熱心さに気づき、使徒を占い師から隠すと、彼は、いまいましい、たった今、私が見た少年を連れて来い、アッラーにかけて、少年には偉大な未来が開けている、と言った。しかし、アブー・ターリブは、そこから立ち去った」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(107)

アブドゥル・ムッタリブの死と惜別の詩(4)


 ホザーア族のマトルード・イブン・カアブは、アブドゥル・ムッタリブとアブド・マナーフの息子たちを悼んで詠んだ。

 「おお、彷徨う旅人よ、

 なぜアブド・マナーフの一族について尋ねなかったのか、

 悲しいかな、もし汝らが彼らの故郷で住んだなら、

 彼らは、汝らが傷つき、価値のない結婚をするのを妨げたであろう、

 豊かな者が貧しい者と交じり合った、

 貧者が彼らの財産となるように。

 困難な時には寛大で、

 貧者はクライシュの隊商と旅をした、

 嵐の時に人びとを養う人びとと、

 太陽が海に沈むまで、

 おお、偉大な功績の人よ、あなたが滅びて以来、

 あなたのような人に女の首飾りが触れたことはない、

 あなたのような人を抱いた母親はいない、産まれたことがない

 あなたの父のような人はいない、あのように寛大な人は、

 惜しむことのないムッタリブ、客人たちの父」。

 アブドゥル・ムッタリブが逝去すると、最年少の息子だったにもかかわらず、アルアッバースがザムザムの管理と巡礼者への水の提供を担当した。イスラームが降臨しても、この権利は彼の手にあり、使徒はかれの権利を承認し、今日に至るまでアルアッバースの一族がこの権利を保有している。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(106)

アブドゥル・ムッタリブの死と惜別の詩(3)


 ムハンマド・イブン・サイード・イブヌル・ムサイブが私に語ったところによれば、アブドゥル・ムッタリブは、既に話すことができなかったため、惜別の詩に満足したことを示す合図を娘たちに送った。

 アブドゥル・ムッタリブは、マッカで四千ディルハムの負債を負い、アブー・ラハブ・アブドゥル・ウッザ・イブン・アブドゥル・ムッタリブが、その負債を継承して返済した。アディーユ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイの部族の親族にあたるホザイファ・イブン・ガーニムは、クライシュ一族に対する、アブドゥル・ムッタリブとクサイイ、その子孫たちの優位性について次のような詩を詠んだ。

 「おお、涙を惜しみなく胸の下に流せ、

 心配するな、降る雨に洗われよう、

 涙を惜しむなかれ、暁のたびに、

 運命が死を免除しなかった男のために泣け。

 命が続く限り、涙をふりしぼれ、

 善行を隠したクライシュの謙虚な英雄のために、

 力強く熱烈な威厳の保護者のために、

 容貌は整い、弱みも、驕りもない、

 高名な貴公子、寛大で惜しむことがない、

 彼こそは、干ばつと欠乏のときに降るルアイイの春の雨、

 マアッドの中で最良の男、

 言動、気質、系譜は気高い、

 彼らの中で最良の血筋。

 威厳と声望で最も名高く、

 輝き、親切、聡明さで最高の男、

 凶作で被害を受けたときの美徳でも。

 称賛に値するシャイバのために泣け、

 彼の顔は真っ暗闇の中で満月のように輝いた、

 巡礼に水を与え、パンを砕いた人の息子、

 そしてフィフルの盟主、アブド・マナーフ。

 聖域のそばでザムザムのふたを開けた人、

 彼の水の統治は、いかなる男の誇りよりも偉大なり、

 彼の不幸はすべての者を泣かせよう。

 クサイイの家族も、富める者も貧しき者も。

 彼の息子たちは、老いも若きも偉大なり、

 彼らは鷹の卵から飛び出した。

 キナーナの全部族に対決したクサイイ、

 試練のときも、繁栄のときもカアバを守護した。

 定めと運命の変化が彼を連れ去ろうとも、

 目覚しい業績をあげ、幸福に暮らした、

 彼は堅固に武装した男たちを残した、

 攻撃するときは、まさに槍のごとくに。

 贈り物を私にくれたのは、アブー・ウトゥバ、

 純血種の純白のラクダを。

 満月のようなハムザは喜んで与える、

 汚れがなく裏切ることもない、

 そして栄光のアブド・マナーフ、名誉の守護者、

 彼の氏族に親切で、親族に優しい。

 彼らは男の中の最高の男たち、

 彼らの若者たちは、滅ぶことも衰退することもない、王者の末裔。

 彼らの子孫に会うときはいつでも、

 彼らが父祖たちの道を歩んでいることが分かる。

 彼らは谷を名声と栄光で満たした、

 戦いと交流が実践されたとき、

 偉大な建設者と建造物があった、

 彼らの祖父、アブド・マナーフは彼らの幸運の修復者、

 彼が我らを保護するため娘をアウフに嫁がせたとき、

 フィフルの民が我らを裏切ったとき、敵から守るため、

 我らは丘と谷で、彼の保護の下に行った、

 ラクダが海に突進するまで。

 ある人たちが遊牧していたころ、彼らは街で定住していた、

 アムルの族長たち以外には誰もいなかった、

 彼らは多数の家を作り、井戸を掘った、

 そこからは巨大な海からのごとく水があふれた、

 巡礼とほかの人びとがその水を飲めるように、

 犠牲の翌朝、彼らが井戸に急いだとき、

 彼らのラクダは三日間そこに横たわった

 静かに、山とヒジュルの間で。

 昔から我らは充足して暮らしていた。

 ホンムあるいはアルハフルから水を引いて。

 彼らは、復讐される不法を忘れた、

 そしてばかげた中傷を無視した、

 彼らは連合したすべての部族を集めた、

 そして我らからバクル族の邪悪を取り除いた。

 おお、ハーリジャよ、我が死すとも彼らへの感謝をやめてはならない、

 そなたが墓に横たわるまでは、

 そしてイブン・ルブナの恩を忘れるなかれ、

 そなたの感謝の念に値する親切を、

 系譜をたどればイブン・ルブナはクサイイに、

 男の最高の希望が達成される部族に属する、

 彼ら自身は栄誉の絶頂を極めた、

 そして武勇では、その根源に達した、

 気前のよさでは汝の民を超越した、

 少年のころそなたはあらゆる気前のよい族長に勝っていた、

 そなたの母はホザーアの純正な真珠となろう、

 精通した系譜学者がいずれ巻物を編纂するとき、

 シバの英雄まで彼女の系譜はたどり、その誉れに属する。

 彼女の祖先は華麗な頂点でいかに気高いことか。

 アブー・シャミールは彼らの一人、アムル・イブン・マーリクも、

 そしてズゥー・ジャダンも、アブー・ジャブルも彼女の民、

 そして二十年間、民を率いたアサドも、

 かの地で勝利を保証しながら」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(105)

アブドゥル・ムッタリブの死と惜別の詩(2)


 ウンム・ハキームル・バイダーアは、詠んだ。

 「泣け、惜しみなく、そなたの涙を隠すな、

 泣け、気前よく寛大な人のために、

 あふれ出る涙を恥ずかしむな、

 泣け、ラクダを駆った最良の人のために、

 そなたの良き父、甘い水の泉のために。

 寛大なシャイバよ、気高き人よ、

 気質は惜しみなく、気前の良さを称賛される人、

 家族にも惜しみなく与え、人品美しく、

 凶作の年の雨のように歓迎される。

 槍で戦えば彼は獅子、

 彼の女たちは誇らしげに彼を見つめる。

 民の希望が彼にかかっているキナーナの族長、

 邪悪な日々が災厄をもたらしたとき、

 彼こそは戦いが起きたときの人びとの避難所、

 困難と悲嘆のときも。

 泣け、彼のために、悲嘆を控えることなかれ、

 汝が生きる限り、女を泣かせよ」。

 ウマイマは詠んだ。

 「悲しきかな、彼の民の羊飼い、寛大な人が滅びた。

 彼こそは巡礼に水を与えた、我らの名声の守護者、

 彼こそは天幕にさ迷える客人を集めた人、

 天が雨をしぶしぶ降らせたときに。

 汝は、最も高貴な息子たちに恵まれた、

 汝の名声はとどまることなく高まった、

おお、シャイバよ、

 アブル・ハーリスよ、気前のよい人はこの世を去った、

 遠くに行かないで、生ける者ははるかかなたに行かねばならない。

 私は彼のために泣き、生きる限り苦しむ。

 彼の記憶は私が苦しむのにふさわしい。

 神が汝の墓を雨で濡らし給う

 私は彼のために泣く、墓に横たわっている。

 彼はすべての民の誇り、

 いかなる時も称賛に値する」。

 アルワは、詠んだ。

 「私は果てしなく泣いた、

 寛大で謙虚な父のために、

 マッカの谷の陽気な男

 心は高貴で、目標は気高い、

 気前がよく徳にあふれたシャイバよ、

 そなたの良き父に並ぶ者はない、

 武器は長く、優雅で、大きい、

 あたかも彼の額は光で輝くようだった、

 腰は引き締まり、美しく、品性にあふれていた、

 誉れ高く、高貴で、威厳を備え、

 不正に憤り、温厚にして、有能、

 かれの父祖の名声は轟き、

 マーリク族の避難所、フィフル族の泉、

 審判が求められると、彼は最後の言葉を発した。

 彼こそは英雄であった、寛大で惜しみのない、

 そして血が流されるときは勇猛であった、

 武装した男たちが、心うつろに死を恐れたときも、

 彼はきらめく剣をもち前進した、

 すべての民の称賛の的であった」。

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(104)

アブドゥル・ムッタリブの死と惜別の詩(1)


 使徒ムハンマドが八歳のとき、すなわち象の年から八年後、祖父アブドゥル・ムッタリブが逝去した。アルアッバース・イブン・アブドッラー・イブン・マアバド・イブヌル・アッバースは、使徒の親族から彼の逝去の時期を聞き、私に伝えた。ムハンマド・イブン・サイード・イブヌル・ムサイブが私に語ったところによれば、アブドゥル・ムッタリブは、死が迫っていることを悟ると、六人の娘、サフィーヤ、バッラ、アーティカ、ウンム・ハキームル・バイダーア、ウマイマ、アルワを呼び寄せ、「私が死ぬ前に、そなたたちが私の死を哀惜する詩を聞かせなさい」、と娘たちに言った。

 サフィーヤ・ビント・アブドゥル・ムッタリブは、父を悼んで詠んだ。

 「私は泣き叫ぶ女たちの声のために眠ることができない、

 人生の王者たる偉大な男のために泣いている、

 こぼれ落ちる真珠のような涙が頬をつたう、

 高貴な男のために。

彼は決して惨めな弱者ではない、

 彼の美徳は皆に明白だ。

 徳にあふれた寛大なシャイバよ、

 汝は良き父であり、あらゆる美点の継承者、

 家庭では誠実で、意志堅固、

 しっかりと立ち、独立自存。

 力強く、人を畏れさせ、堂々と振る舞う、

 人びとは称賛し、彼に従う、

 系譜は気高く、人柄は温和にして高潔、

 民が窮するときは何時であっても手を差し伸べた。

 すこしのけがれもなく、高貴だったのは彼の祖父、

 あらゆる男たちを超越する、奴隷も自由人も、

 極めて温和で、血統は高貴、

 彼のように寛大で、獅子のように勇猛な者が誰かいようか、

 人は過去の栄光によって不死となれようか、

 悲しいかな、不死は誰も獲得できない、

 彼は最後の夜を永遠とするであろう、

 卓越した栄光と永遠の系譜によって」。

 バッラは次のように詠んだ。

 「惜しむな、そなたの真珠のような涙を、

 物乞いを決して追い払わなかった寛大な人のために。

 輝かしい種族、事業はいつも成功する、

 容貌は美しく、偉大な徳性を備える。

 称賛すべき高貴なシャイバ、

 輝かしく、力強く、誉れ高き、

 温和で、不運には断固とし、

 寛大さにあふれ、贈り物は惜しまず、

 輝きでは誰にも優り、

 豪華な月のように輝く光。

 彼とても死を免れることはできなかった、

 変化と運命と定めが彼を奪った」。

 アーティカは、次のように詠んだ。

 「惜しむな、惜しんではならない、

 他者が眠る時、涙を惜しむな、

 存分に泣け、そなたの涙で、

 涙にくれて打ちひしがれて。

 泣け、長く思いのままに、その人のために、

永遠に老いぼれず、弱らない人のために、

 力強く、必要なときには寛大な、

 気高く、誠実な人のために。

 称賛すべきシャイバ、事業はいつも成功する、

 頼りがいがあり、たくましく、

 戦うときは鋭い剣を持ち、

 戦闘で敵を打ち砕く、

 気質はおおらか、物惜しみせず、

 忠実、壮健、純正、善良。

 家柄は誉れ高く、気高く、

 ほかの誰にも達成不可能な栄光の頂にそびえる」。