2012年9月18日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(99)

預言者ムハンマドの誕生と養育(1)


 預言者ムハンマドは、象の年〔西暦五七〇年ころ〕のラビーウル・アッワル月太陰暦三月十二日、月曜日に生誕した。アルムッタリブ・イブン・アブドッラー・イブン・カイス・イブン・マハラマは、彼の祖父カイス・イブン・マハラマの話を父から伝え聞いて語っている。「私と使徒は象の年の同じ時期に生まれた」。サーリフ・イブン・イブラヒーム・イブン・アブドッ・ラハマーン・イブン・アウフ・イブン・ヤヒヤ・イブン・アブドッラー・イブン・アブドッ・ラハマーン・イブン・サアド・イブン・ズラーラル・アンサーリは、彼の部族の者がハッサーン・イブン・サービトから聞いた話を伝えている。「ユダヤ教徒の一人が、いまいましい、何の用だと言いながらユダヤの人びとが出て来るまで、ヤスリブの砦の頂上で声の限りに、おお、ユダヤの人びとよと叫んだのを聞いたとき、私は七歳か八歳で、聞いたことをすべて理解する少年に成長していた。そのユダヤの男は、今夜、アハマド〔ムハンマド〕が生まれる兆しの星が現れたと叫んだ」。

 ヤスリブ(マディーナ)の人で、預言者のお抱え詩人。ムスリムに敵対する部族を非難する詩を多数作った。

 私が、サイード・イブン・アブドッ・ラハマーン・イブン・ハッサーン・イブン・サービトに、「使徒がマディーナにいらしたとき、ハッサーンは何歳でしたか」と尋ねると、「彼は六十歳でした」と答えたので、そのとき使徒は五十三歳であったことになる。したがって逆算すると、ハッサーンが、ユダヤの男が叫ぶのを聞いたのは、七歳のときだったことになる。

 使徒ムハンマドが産まれると、母アーミナはムハンマドの祖父アブドゥル・ムッタリブに使いをやり、男の子が生まれたので会いに来てほしい、と伝えた。アブドゥル・ムッタリブがやって来るとアーミナは、使徒を身ごもっていたときに見た夢や神に言われたこと、そして名付けるように言われた名前について語った。アブドゥル・ムッタリブは、使徒を抱いてカアバに行き、この神からの贈りものを感謝して神に祈った、と伝えられている。それから彼は、使徒を抱いて帰って、アーミナに返し、使徒の乳母となる人物を探した

 古代のアラビアでは、定住地のアラブは新生男児の養育を遊牧民の家族に託するのが一般的な慣習だった。砂漠の環境は街よりも健康的と考えられ、また質実剛健な砂漠の民はアラブ族の純粋な伝統・価値観を保持し、古来からの正統なアラビア語を話していたため、砂漠で育てられた男児は心身ともに健全に成長すると信じられていた。

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