2012年8月25日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(87)

アルフドゥールの誓約(3)


 初めて、夏と冬の隊商の旅を組織し、マッカでサリード(パンを浸したスープ)を施したのは、ハーシムだった、と言われている。実際の名前はアムルだったが、彼がこのようにしてマッカで巡礼者たちのためにパンをちぎったことが、ハーシム〔パンを砕く人〕と呼ばれるゆえんである。クライシュ、またはアラブのある詩人は、次のように詠んだ。

 「アムルこそ、民のためにパンをちぎり、サリードをつくった。

 欠乏の時代を過ごしたマッカの民のために。

 彼は二つの隊商を始めた、

 夏のキャラバンと、冬のラクダの列を」。

 ハーシム・イブン・アブド・マナーフは、商品を運んで旅しているとき、シリアの地のガザで亡くなり、アルムッタリブ・イブン・アブド・マナーフが、巡礼者たちに食や水を提供する権限を継承した。彼は、アブド・シャムスやハーシムより若かったが、人びとの間で人望が厚く、気前のよさと高潔な性格から、人びとは彼を「アルファイド」〔高潔な人〕と呼んだ。

 ハーシムは、マディーナに行ったときに、アディーユ・イブヌン・ナッジャールの部族のサルマ・ビント・アムルと結婚していた時期があった。彼女はハーシムとの結婚以前に、ウハイハ・イブヌル・ジュラーハ・イブヌル・ハリーシュ・イブン・ジャハジャバ・イブン・クルファ・イブン・アウフ・イブン・アムル・イブン・アウフ・イブン・マーリク・イブヌル・アウスと結婚し、アムルという名の息子をもうけていた。彼女は部族の間では高貴な地位にあり、離婚権を彼女が有するという条件でしか結婚を承諾しなかった。そのため、結婚相手を嫌えば、彼女はその相手から離れた。

 彼女は、ハーシムとの間にアブドゥル・ムッタリブを産み、シャイバと名付けた。ハーシムは、シャイバが幼いころ彼女と別れた。そこでアブドゥル・ムッタリブの叔父のアルムッタリブは、自分の部族の間で育てるため、彼を引き取りに行った。だが、サルマは、彼を手放そうとはしなかった。叔父は、甥は旅をするのに十分成長しており、彼はカアバを実質的に統治し、マッカで偉大な名声を得ている一族から離散させられているため、少年にとっては自分自身の一族と共にいるほうがよいと説得し、彼を伴わないでマディーナから去ることを拒絶した。シャイバは母親の同意なしにマディーナを離れることを拒否したと伝えられており、彼女は最終的には彼を手放すことに同意した。そこで、叔父が彼をラクダの背中の後ろに乗せて、マッカに連れて帰ると、人びとが、「あれはアルムッタリブが買った奴隷だ」、と言ったので、彼はシャイバ・アブドゥル・ムッタリブアルムッタリブの奴隷シャイバと呼ばれるようになった。叔父のアルムッタリブは、「ばかばかしい、彼はマディーナから連れ帰った私の甥である」、と言った。

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