2012年8月6日月曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(77)

巡礼に対するアルガウスの権威


 アルガウス・イブン・ムッラ・イブン・ウッド・タービハ・イブン・イルヤース・イブン・ムダルは、巡礼者たちにアラファの丘から離れる許可権を持っており、この職務は彼の子孫に代々継承された。彼とその子孫はスーファと呼ばれていた。アルガウスの母はジュルフムの不妊の女だったが、アッラーに願をかけ、もし子を産んだならば、アッラーの奴隷として子を神にささげ、カアバの世話をさせることを誓ったので、アルガウスはこの務めを果たすようになった。アルガウスは、古くからジュルフム族のおじたちと共にカアバに仕え、巡礼がアラファの丘から離れる許可を与えてきた。彼の子孫は、カアバから追放されるまで職務を継承した。

ムッラ・イブン・ウッドは、自分の妻の誓願が成就したことに言及して、次のように詩を詠んだ。

 「おお、主よ、我は息子の一人を、

 至聖のマッカの敬虔な信者といたしました。

 それゆえ、成就した祈願のために、我を祝福し給え、

 そして、息子を我の名誉のために、最良の被造物となし給え」。

 アルガウスは、アラファから人びとを送り出したとき、次のように述べたと伝えられる。

 「おお、神よ、私は前例を範として従っております。

 もしそれが間違っているのであれば、それはクダーアの過ちです」。

 ヤヒヤ・イブヌッバード・イブン・アブドッラー・イブヌッ・ズバイル・イブヌル・アッワームは、彼の父であるアッバードから伝え聞いた話として、「スーファは、アラファへ巡礼者たちを送り出す。彼らは巡礼者たちがミナからアラファへ向かう許可を与えていた」、と語った。石投げの儀式の日には、巡礼者たちは石を投げにやって来たが、スーファの中の担当者が先ず石を投げるまでは、人びとは石を投げなかった。急用のある者たちが、スーファのところにやって来て、「立て、そして我らが早く石を投げられるように、すぐに石を投げろ」、とせかすと、スーファは、「否、神にかけて、日が西に傾くまで、私は〔日が真南に昇る〕南中を過ぎるまでは決して石を投げない」、と答えるのだった。すると、急いで離れたい者たちは、「いまいましい、すぐ石を投げろ」、と言いながら、急がせるために、スーファに石を投げつけた。それでも彼は、南中まで石を投げることを拒否し続け、南中時を過ぎるとやっと石を投げ、そして人びともスーファに倣って石を投げるのだった。

 アッズバイル・イブヌル・アッワームは、預言者と最も親密だった教友の一人で、そのために天国を約束された十人の一人。初代カリフ、アブー・バクルの娘、アスマア・ビント・アブー・バクルとの間にもうけたアブドッラー・イブヌッ・ズバイルは、ムスリムがマッカからマディーナに聖遷した直後に生まれ、聖遷後初のムスリムとなった。預言者はナツメヤシの実を砕いてアブドッラーの唇にこすって祝福した。ヤヒヤはアブドッラーの孫。

 巡礼者たちが石を投げ終わると、スーファたちは丘の両側を防ぎ、人びとを引き止めた。そこで巡礼者たちは、「スーファよ、出発する命令を下してください」、と頼んだ。スーファたちが離れるまで、誰一人も巡礼者たちは出発することはできなかった。スーファたちが石投げ場から立ち去ると、人びとは続々と出発した。この慣習は、スーファの血統が断絶するまで継承された。スーファの血統が断絶すると、その役割と慣習は、一番近い親族へと代々受け継がれた。先ず、サアド・イブン・ザイド・マナート・イブン・タミーンの部族に継承され、その後、サアドの部族の中のサフワーン・イブヌル・ハーリス・イブン・シジュナ家の者たちへと継承された。サフワーンは、アラファから離れる許可を巡礼たちに与え、この権利はイスラームの到来まで彼の息子たちによって維持され、カリブ・イブン・サフワーンがサフワーン家最後の継承者となった。

 アウス・イブン・タミーム・イブン・マグラア・アッサアディは、次のように詠んだ。

 「巡礼者たちはアラファから立ち去ることはなかった、

 許可をください、おお、サフワーンの家族よ、と懇願するまで」。

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