アルフドゥールの誓約(4)
その後、アルムッタリブは、イエメンのラドマーンで亡くなり、あるアラブの詩人は彼を悼んで詠んだ。
「アルムッタリブ亡き後、巡礼は渇いている、
もはやお椀があふれることはない。
彼が去った今や、クライシュは苦しみの中にいる」。
マトルード・イブン・カアバル・ホザーイは、アブド・マナーフの最後の息子ナウファルが亡くなったという知らせを聞いたとき、次の哀歌を詠んだ。
「おお、夜よ、なんと悲惨な夜よ、
すべての夜の平安を乱す夜よ、
悲しみと運命の一撃に悩む思いで乱される。
私の兄弟ナウファルを思い出すとき、
彼は私に過ぎ去った日々を追憶させる、
彼は赤い飾り帯と
美しく新しい外套を思い出させる。
彼ら四人は、みな貴公子であった、
王族の子孫たちよ。
一人はラドマーンで、一人はサルマーンで、
三人目はガザの近くで、
四人目はカアバ近くの墓に横たわっている、
神聖な神殿の東側に。
アブド・マナーフは、彼らを気高く育成した、
だれからも非難されることのない人物に。
ムギーラの子孫のような者はいない、
生きた者の中にも、死んだ者の中にも」。
アブド・マナーフは、アルムギーラと呼ばれた。彼の息子たちのうち、ハーシムが最初にシリアのガザで、つぎにアブド・シャムスがマッカで、次にアルムッタリブがイエメンのラドマーンで、最後にナウファルがイラクのサルマーンで死んだ。
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