クサイイ・イブン・キラーブは、いかにしてマッカの実権を握ったか、彼はいかにしてクライシュを団結させたか、そしてクダーアが彼に与えた支援について(2)
クライシュ一族は、彼らの居住区にある聖域の樹木を切り倒すことを畏れたが、クサイイは自分自身の手で、あるいは手助けを借りて、樹木を切り倒した、と伝えられている。クサイイは、クライシュ一族を統合させ、吉兆をもたらしたので、クライシュの人びとは、彼を「統合者」と呼んだ。クライシュ一族に関する限り、クサイイの家以外の場所で、娘の結婚が決定されたり、息子が結婚したり、公共の問題が討議されることは、一切あり得なかった。さらに彼の家以外の場所で、クサイイの息子の一人によって軍旗が誰かに委託されることも決してなかった。クライシュの娘たちが結婚適齢期に成長すると、その娘はクサイイの家に行って、婚礼衣装を着る慣わしがあった。彼の家で、婚礼衣装は準備され、娘たちはそれを着て、家族のもとへ連れていかれた。クサイイの権威は、クライシュ一族の間では、彼の生存中も死後も、侵害することの決してできない宗教法のようであった。彼は、集会場を建て、そこからカアバのモスクに通じる入り口を作った。クライシュ一族が、自分たちの問題を解決したのは必ずこの集会場であった。
アブドゥル・マリク・イブン・ラーシドは、彼の父がアルマクスーラ〔貴賓室〕の著者であるアッサーイブ・イブン・ハッバーブから聞いた話を、父から伝え聞いて私に次のように語った。「ある人がカリフのウマル・イブヌル・ハッターブに、クサイイがいかにしてクライシュを統合して、ホザーア族とバクル族をマッカから追放し、カアバとマッカの問題を統治するようになったかという物語を語った。この時、ウマルは、その者に反論しなかった」。
クサイイの戦争が終わると、彼の異父弟、リザーハ・イブン・ラビーアは、同胞と共に故郷に帰っていった。兄クサイイの要請に応えた史実について、彼は次のような詩を詠んだ。
「クサイイから使者がやって来て、
『あなたの友の要請に答えよ』と言ったとき、
我らは騎乗して彼の支援に跳び出した、
ためらいと怠慢をかなぐり捨てて。
我らは夜明けまで夜を徹して疾駆した、
昼間は、攻撃を避けて隠れながら。
我らの騎馬は、水鳥のように俊敏だった、
クサイイの呼びかけへの我らの応えを携えて。
我らはシッルとアシュマズの両部族を集め、
そのほかの部族も集めた。
その夜は、なんと見事な騎馬軍団であったことか、
俊敏に疾駆する千騎以上の軍団だった。
アスジャドを通過し、
ムスタナフから快適な道をとって、
ワリカーンの端を通り、
アルアルジを通過して野営した。
いばらの繁みを刈り取ることなく過ぎ去って、
マッルから一晩中、激しく駆けた。
我らは子馬を彼らの母親の近くで育てた、
彼らのいななきがやさしいように。
そして我らがマッカに至ったとき、
我らは一つずつ部族を滅ぼしていった。
マッカで彼らを剣の端で打ち、
剣を振るうたびに彼らの正気を失わせた。
我らは馬のひづめで彼らを踏みつけた、
つわものが弱者や救いのない者を踏みつぶすがごとく。
我らはホザーアを彼らの本拠地で殺した、
そしてバクルの集団を殺した。
我らは彼らを神の土地から追放した、
我らは彼らに豊かな地を所有させなかった。
我らは彼らに鉄の足かせをはめた。
我らはすべての部族に対して復讐心を満たした」。
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