2012年11月7日水曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(115)

ホムスについて(1)


 クライシュたちが自らを聖域の民として意識し、ホムス聖域の民が固守すべき行い〕の概念をつくりあげて、それを実践に移したのが、象の年の前だったか後だったか、私は知らない。彼らは、「我らはイブラヒームの子孫、聖域の民、カアバの管理者、マッカの民である。ほかのアラブは、我らのような権利と地位を有していない。アラブでは、我らを認識するようにはほかの誰をも認識しない。アラブは、聖域を重視すると同じようには、それ以外の土地を重視しない。クライシュがもしそのように振る舞うならば、アラブはクライシュを軽蔑して、彼らは、聖域に与えると同じ重要性を外国の土地に与えていると言うであろう」、と言った。つまり、アラファにとどまり、そこから出発する儀式が、イブラヒームの神への信仰と巡礼の制度であることを認めながら、もしそれを廃止したら、それはホムスとして恥と彼らはとらえた。「我らは聖域の民である。その我らが聖域以外を神聖視するのは、ホムスとして非常に不適切な行いである」、と主張した。彼らは、聖域内で生まれたほかのアラブについても同様に聖域の民として扱い、キナーナとホザーアの部族は、ホムスの概念と実践に同調した。

 クライシュたちは、彼ら自身が決定権を持ち合わせていないにもかかわらず、ホムスとして新たな規則を取り入れ続けた。彼らは、禁忌の状態にある期間は、サワーミルクで作ったチーズを食べたり、バターを純化したりしてはならない、と考えた。また彼らは、禁忌の状態にある時、ラクダの毛で作った天幕には入らず、皮の天幕の中以外では日差しを避けようとしなかった。彼らはこのようなホムスをさらに助長して、大小の巡礼の際、ハラム〔聖域〕の外の人たちが食物を持って入ることを禁止した。また、ホムスに準じた衣装以外でカアバを回ることも禁じた。もし巡礼者がホムスに準じた衣装を持っていない場合、普段の衣服でカアバを回ることはできたが、巡礼後、その衣服は二度と誰も使用しないように捨てなければならなかった。そうでなければ、その巡礼者は裸で回らねばならなかった。

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