2012年11月3日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(111)

使徒ムハンマドとハディージャの結婚


 ハディージャは、威厳があり裕福な商人の女性であった。クライシュ一族は、商業を天分の才とする民であったので、ハディージャは、商品を外国に運ぶため、利益分配の方式に基づいて男性たちを雇っていた。彼女は、使徒ムハンマドの誠実さと信頼性、そして気高い徳性について聞いていたので、彼に使いをやり、彼女の商品をシリアに運んでいって取引すれば、ほかの人に払うよりも彼には多く報いる、と提案した。ムハンマドは、マイサラという名の、彼女の召使を伴う予定であった。彼はハディージャの申し出を受け入れ、マイサラと共に出発してシリアに到着した。

 使徒が、ある修道士の庵のそばの木陰で休んでいると、修道士が出てきて、マイサラに、「樹の下で休んでいるあの人は誰か」と尋ねた。マイサラが、「彼はクライシュ一族の者で、聖地を護持している民である」、と答えると、修道士は、「預言者以外に、この樹の下に座る者はいない」、と感嘆の声を上げた。

 預言者ムハンマドは、運んできた商品を売り、購入すべき物品を買って、マッカへの帰途についた。真昼の暑さの盛り、預言者がラクダに乗っていると、マイサラは、二人の天使が預言者を太陽の光からさえぎっているのを見たと伝えられている。ハディージャが、彼が運んできた商品を売ると、いつもの二倍、あるいはそれ以上になった。マイサラは、預言者を日陰に入れていた二人の天使と、修道士の言った言葉について、彼女に報告した。ハディージャは、しっかりとして、気高く、聡明な女性で、神が彼女を祝福して授けられた資質を有していた。マイサラから事の次第を聞いたハディージャは、神の使徒に使いをやり(そのように伝えられている)、「おお、私の従兄弟よ、私たちの氏族関係や民の中でのあなたの評判の高さ、そしてあなたの信頼性と善良さ、そして誠実さから、私はあなたを好きになりました」、と伝えた。そして彼女は、結婚を申し込んだ。そのころハディージャは、クライシュ一族のなかで最も育ちの良い女性であり、最も優れた威厳を備え、最も豊かであった。人びとは皆、できるものならば、彼女と結婚して彼女の資産を共有したいと願望していた。

 ハディージャの祖父、アサド・イブン・アブドゥル・ウッザと、ムハンマドの曽祖父、ハーシム・イブン・アブド・マナーフは従兄弟の関係にある。

 ハディージャは、ホワイリド・イブン・アサド・イブン・アブドゥル・ウッザ・イブン・クサイイ・イブン・キラーブ・イブン・ムッラ・イブン・カアブ・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルの娘である。彼女の母は、ファーティマ・ビント・ザーイダ・イブヌル・アサンム・イブン・ラワーハ・イブン・ハジャル・イブン・アブド・イブン・マイース・イブン・アーミル・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルであった。彼女の母方の祖母は、ハーラ・ビント・アブド・マナーフ・イブヌル・ハーリス・イブン・アムル・イブン・ムンキズ・イブン・アムル・イブン・マイース・イブン・アーミル・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルで、彼女の母方の曾祖母は、キラーバ・ビント・スアイド・イブン・サアド・イブン・サハム・イブン・アムル・イブン・ホサイス・イブン・カアブ・イブン・ルアイイ・イブン・ガーリブ・イブン・フィフルだった。

 神の使徒は、おじたちにハディージャの結婚申し込みについて報告し、叔父のハムザ・イブン・アブドゥル・ムッタリブと共に、彼女の父であるホワイリド・イブン・アサドを訪れ、ハディージャとの結婚を申し込み、彼女と結婚した。

 彼女は、イブラヒームを除いて、使徒のすべての子供たちの母である。彼らは、アルカーシム(神の使徒はアブル・カーシムとしても知られていた)、アッターヒル、アッタイイブ、ザイナブ、ルカイヤ、ウンム・カルスーム、そしてファーティマである。

 アルカーシム、アッターヒル、アッタイイブは、イスラーム以前の時代に世を去ったが、使徒の娘たちは全員、イスラームの時代まで生き、イスラームを受容し、使徒と共にマディーナに聖遷した。

 ハディージャは、彼女の従兄弟で、聖書を研究したキリスト教徒の学者であったワラカ・イブン・ナウファル・イブン・アサド・イブン・アブドゥル・ウッザに、彼女の奴隷マイサラが語った、かの修道士が言ったことや、マイサラが二人の天使がいかにして使徒ムハンマドのために日陰を作ったかを目撃したことについて報告した。すると彼は、「もしこれが真実であれば、ハディージャよ、まさしくムハンマドは、この民の預言者に違いない。私は、この民の預言者が待ち望まれていることを知っている。預言者の時代が到来した」と、あるいはそのようなことを意味する言葉を語った。このときまでワラカは、「預言者の到来をいつまで待てばよいのか」、と言い、しびれをきらしながら時間を過ごしていた。彼はこれに関連して次のように詩を詠んだ。

 「私はしばしば涙を誘う熱望を覚えながらも、

平静を保ち、粘り強く耐えていた。

 確証的な証拠はハディージャから入った。

 私は長い間待ち続けねばならなかった、おお、ハディージャよ、

 マッカの谷で、私の宿願は、

 そなたの言葉に結末を見た。

 そなたが私に語った修道士の言葉が、

 間違いであったならば、私は耐えられない。

 ムハンマドが我らを導くという言葉が、

 彼に反対する人びとを圧倒して。

 そしてこの地に輝かしい光が出現するという、

 混乱から人びとを回復するために。

 彼の敵が災難に見舞われ、

 彼の友人が勝利する。

 私はその時、その場で見るであろう、

 なぜならば私こそは彼の最初の支持者であらねばならぬから、

 クライシュが憎むものを支援する、

 いかに彼らのマッカで彼らが声高に叫ぼうとも。

 私は皆が嫌う彼と共に天国に導かれることを希求する、

 玉座の主の下に、たとえ彼らがさげすもうとも。

 主を疑わないことが愚劣だと言うのか、

 彼を選び、星の高みに据えた主を。

 彼らと私が生きれば、ことが成就されるであろう、

 不信仰者が混乱に投げ込まれることが。

 そしてもし私が死せば、それは死せる者の定めだ、

 死と腐朽を被ることは」。

0 件のコメント:

コメントを投稿