アムル・イブン・ルハイイの物語と、アラブにおける偶像崇拝(5)
アッラートは、ターイフのサキーフ族の神殿で、サキーフのムアッティブ族が守衛と管理人を務めていた。
アルアウス、アルハズラジ、そのほかのヤスリブの人びとはマナートの神殿を崇拝していた。マナートの神殿は、アルムシャッラル山からクダイド側の〔紅〕海岸のほとりにあった。
ダウス、カスアム、バジーラの部族や、そのほかの〔マッカからサヌアに向かって七日行程の〕タバーラの地のアラブは、ズル・カラサの神殿を持っていた。
〔北東アラビアの〕タイイの民と、タイイにあるサルマとアジャの二つの山のそばにいた部族の神殿はファルスといった。
ヒムヤルとイエメンの民の神殿は、サヌアにあり、リアームと呼ばれた。
ラビーア・イブン・カアブ・イブン・サアド・イブン・ザイド・マナート・イブン・タミームの部族の神殿は、ルダアと呼ばれた。アルムスタウギル・イブン・ラビーア・イブン・カアブ・イブン・サアドは、イスラームの時代にこの神殿を破壊して、詩を詠んだ。
「私はルダアを完全に破壊してしまった。
そしてそれはうつろな黒い廃墟と化した」。
ワーイルとイヤードの息子たち、バクルとタグリブは、〔北東アラビアの〕スィンダードにあるズル・カアバート神殿を保有していた。この神殿について、カイス・イブン・サアラバ族のアルアーシャーは、次のように詠んだ。
「アルハワルナク宮殿※と、アッサディール、バーリクの間に、
そして、スィンダードのズル・カアバートの間に」。
※ラフム朝のアンヌーマーンがペルシャ皇帝のためにヒーラに建設したと伝えられる宮殿。皇帝の王子たちは皆、よう逝してしまい、継承者がいないのが悩みの種だった。清浄な砂漠の環境下で育った男子は、心身ともに健全に成長すると聞いた皇帝は、生まれてくる王子を養育する宮殿の建造を命じた。アンヌーマーンが建造した宮殿があまりに豪壮であったため、アラブは世界の不思議の一つと考えた。
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