2012年7月2日月曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(63)

アムル・イブン・ルハイイの物語と、アラブにおける偶像崇拝(4)


 当時は、どの家庭も、家の中に偶像を置いて、それを崇拝していた。男が旅に出るとき、旅立つ前に男は体を偶像にこすりつけた。これは、旅立つ直前に行わねばならない習慣であった。そして、旅から戻ったときは、家族に挨拶するよりも前に、再び体を偶像にこすりつけねばならなかった。神が、唯一性の啓示と共に、使徒ムハンマドをお遣わしになったとき、クライシュの人びとは、「ムハンマドは、神々を一つにまとめるというのか。何と奇妙な所業であることよ」、と言っていた。

 そのころアラブは、カアバのほかに、タワーギート〔偶像〕の神殿も受け入れ、カアバと同じように敬意を払っていた。彼らはタワーギートに守衛と管理人を設け、カアバを回り、犠牲をささげるのと同じようにタワーギートを回り、犠牲をささげた。それでも彼らは、カアバが、慈悲深い神の友イブラヒームの建てた礼拝地であったことから、カアバの優位性は認めていた。

 クライシュやキナーナの一族は、ナハラにアルウッザ神殿を持ち、ハーシム家の同盟者であったスライム一族のシャイバーン族が、守衛と管理人を務めていた。

 アラブの詩人は、次のように詠んでいる。

 「アスマアは、婚資として小さな赤い雌牛の頭を受け取った、

 ガンム族の男が犠牲にささげた雌牛の。

 彼は雌牛を引いてくるときその目の中に汚れを見つけた、

 彼はアルウッザのガブガブに雌牛を引いていき、分配した」。

 彼らは、犠牲をささげたとき、それを儀式に参加していた人々に分配することを慣わしとしていた。ガブガブとは、犠牲の血が流される屠殺場だった。

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