アウフ・イブン・ルアイイの移住(3)
信頼できるある人は私に、ウマル・イブヌル・ハッターブが、ムッラ族の人びとに、「もしお前たちが親族〔クライシュ〕のもとに戻りたいのであれば、そうしなさい」※、と言った、と語った。
※イスラームの征服時代、血統の正統性、優越性が、イスラーム軍将兵の給料、年金の額に反映されるようになったことを意味している。第二代正統カリフ・ウマル(在位六三四ー四四年)が系譜に従って名簿(軍隊の帳簿、ディワーン)を作成させ、これに基づいて俸給を計算、支給した。これが後に、国家収支の細目を記帳する帳簿となり、さらに国家の省庁、行政機関を意味するようになった。
アウフの子孫たちは、ガタファーンの間では、貴人であった。彼らは、首長、族長だった。彼らのうち、ハリム・イブン・スィナーン・イブン・アブー・ハーリサ・イブン・ムッラ・イブン・ヌシュバ、ハーリジャ・イブン・スィナーン・イブン・アブー・ハーリサ、アルハーリス・イブン・アウフ、アルホサイン・イブヌル・ホマーム、ハーシム・イブン・ハルマラについて、ある人は次のように詠んだ。
「ハーシム・イブン・ハルマラは、父を復活させた※、
アルハバートの戦いの日と、アルヤアマラの戦い※の日に、
お前は彼のそばで王たちが殺されるのを見たであろう、
彼が罪のある者も、罪のない者も殺して※」。
※父を殺した者を殺して血の復讐をとげたことを復活に例えている。
※二つとも伝承で語り継がれている有名な部族間戦争。
※血の復讐を恐れない、という意味。
彼らはガタファーン、カイス族の間では非常に誉れ高い人びとで、互いに血族の関係を維持していた。バスルの慣習が確立したのは、彼らの間であった。
伝えられるところによればバスルとは、アラブが神聖月とする、一年のうちの八ヶ月に与えられた名前である。これらの月の間、アラブは暴力を恐れることなく、どこにでも行くことができた。
ズハイル・イブン・アブー・スルマーは、ムッラ族について次のように詠んだ。
「考えてみよ、もし彼らがアルマルラートで生活していなければ、
彼らはナーホールにいるであろう、
そこは私が彼らとの交友を楽しんだ地。
もし彼らがどちらにもいないとすれば、
バスルの間に自由に遊牧しているのであろう」。
それは、神聖な期間に彼らが旅していることを意味した。
カイス・イブン・サアラバの部族のアルアーシャーは詠んだ。
「お前の婦人たちの客が我らにとって禁制であるというのか、
我らの婦人と夫たちがお前たちに許されているというのに」。
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