2012年5月23日水曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(3)

まえがき(3)

 すなわち、唯一神の信仰と、歴史認識の革新は、自由かっ達で、知的好奇心にあふれる人間精神を育み、歴史の叙述のみならず、すべての学問分野で、アラブの創造力を刺激し、イスラーム文明興隆の起爆剤となったのである。帝国の最高権力者カリフは、十八世紀西洋の啓蒙君主のごとく振る舞い、学問を奨励し、学者を保護、支援、自らも勉学に励み、万巻の書物を国家財産として図書館に収蔵した。

 正統カリフ(預言者ムハンマドに次ぐ四人の後継者)の時代(西暦六三二―六六一年)が終わるまで、アラブ世界ではコーランとアラビア語文法書を除いて、書物として記述することは一切許されなかった。これは、書物が氾濫することによって、コーランの原典としての神聖さ、純粋性が損なわれることを畏れたためであった。しかし、ウマイヤ朝の初代カリフ、ムアーウィヤ(六六一―六八〇年)の時代になると、カリフ自身が歴史書を編さんすることを提案し、イエメンからウバイド・イブン・シャリーヤを呼び寄せて、彼に歴史書の著述を依頼した。ウバイドの著作「キターブル・ムルーキ・ワ・アフバールル・マーディーン」(諸王と父祖の歴史)は、それまでのアラブ史を初めて編さんしたものであった。

 一方、ウバイドの後に出現した伝承学者たちは、預言者ムハンマドの伝記のみに対象を絞り、ミクロ的観点から詳細な歴史書を著した。このような伝承学者たちの中でも、以下の学者たちがとりわけ有名である。ウルワ・イブヌッ・ズバイル・イブヌル・アッワーム(ヒジュラ暦九二年没)は、預言者の教友(預言者と行動を共にした最初期のムスリム)アッズバイルと、初代正統カリフ、アブー・バクルの娘アスマアを両親に持ち、神の使徒ムハンマドに非常に近い環境で育ったため、彼の歴史書は、アビシニア(エチオピア)とマディーナへの聖遷、バドルの戦いなどのイスラーム初期の史実に関する詳細な記述が特色である。アバーン・イブン・ウスマーン・イブン・アッファーヌル・マダニーユ(ヒジュラ暦一〇五年没)の歴史書は、神の使徒の言行が中心に記述されており、まさしく預言者の伝記と呼ぶべき内容であった。ワハブ・イブン・ムナッビヒル・ヤマニ(ヒジュラ暦一一〇年没)の歴史書の一部分は、ドイツのハイデルベルグ市立図書館に現存している。このほかにも当時の伝承学者として、アースィム・イブン・ウマル・イブン・カターダ(ヒジュラ暦一二〇年没)、シュラハビール・イブン・サアド(ヒジュラ暦一二三年没)、イブン・シハーブッ・ズフリー(ヒジュラ暦一二四年没)、アブドッラー・イブン・アブー・バクル・イブン・ハズム(ヒジュラ暦一三五年没)、ムーサ・イブン・ウクバ(ヒジュラ暦一四一年没)、マーマル・イブン・ラーシッド(ヒジュラ暦一五〇年没)等が有名であった。

 本書の著者であるイブン・イスハーク以前に、上記のように伝承学者たちが預言者伝を書き残しているが、非常に残念なことに、これらの原典は散逸してしまった。イブン・イスハークの預言者伝は、現存する最古の伝記であり、預言者の言行録(ハディース)が中心であるものの、イスラーム以前からの伝承や詩文に至るまで、膨大かつ詳細な出来事を網羅しており、その書は預言者ムハンマドの伝記という範疇を超え、アラブ史の一つの集大成として、現在でも歴史書として広く読まれている。今日に至るまで預言者伝は多数出版されてきたが、イブン・イスハーク以降の著作は、本書を参考引用するものがほとんどであり、本書は、今なお史上、傑出した存在となっている。

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