2012年5月25日金曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(7)

文明のゆりかご、アラビア砂漠(2)


 生物がほぼ死に絶える砂漠は、飢餓の場所である。ラクダを追う遊牧の部族は、勇気に導かれてその奥深く入って行く。極限の状態では、人間は単独で生存できない。砂漠の民は必ず集団を構成し、アサビーヤ(連帯意識)という至聖の絆で融合する。

 城壁や城門を持たない彼らは、いつも武器を持ち、注意深く四方を警戒する。極限状態で彼らは次々に世代を生み、勇猛さは彼らの固有の性質になってしまう。彼らは、叫び声を聞き、不安に襲われたときにこの本性を発揮する。

 知性を伴わない勇気は蛮勇にしかすぎず、彼らは目的もなく、ただ放浪のために放浪する流浪の民ではない。彼らは、飢餓を生き残るため、新緑の牧草と水を求めて、常に全身、全霊を傾けるよう強制される。

 砂漠は、人々が想像するような単調な世界ではない。突然の状況変化、未知に遭遇したとき、指導者のささいな判断ミスは部族全体を窮地に陥れ、知力、判断力に欠ける部族の生存はおぼつかないであろう。

 砂漠での窮乏生活という裁可は、知的好奇心にあふれる鋭い感覚、知識に対するあくなき向上心、あらゆる危機に対応できる柔軟な潜在能力を、天幕の住人に気質として植えつけてしまうのである。

 歴史家フィリップ・K・ヒッティによれば、アラビア砂漠の遊牧生活は、「デトロイトやマンチェスターの工業主義と同じくらい、科学的生活様式なのだ」。

 文明とはすなわち、知的想像力にあふれる、人間精神の状態のことである。この類まれなる才能に恵まれたシュメール人は、先史時代のどこかで科学的な遊牧生活を過ごしていた。シュメール文明の遺跡から、彼らにとってヒツジが非常に重要な動物であったことが発見されている。

 考古学者ジャケッタ・ホークスは、シュメール人の頭がヒツジの群れでいっぱいであったことは、彼らがかつて遊牧の民であったことを示している、としている。

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