2012年5月25日金曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(6)

預言者誕生以前のアラビア

文明のゆりかご、アラビア砂漠


 「文明はシュメールに始まる」、という。

 人は、古代文明の偉大さを知り、畏敬の念を禁じ得ない。そこに人間生活の進歩、幸福、輝きを発見し、限りないあこがれを抱く。そこで人々は、文明という概念、現象、歴史を具体的に、厳密に、かつ知的に探求しようと献身を重ねてきた。

 人類最古の文明は、「肥沃な三日月地帯」、あるいは「メソポタミア」と呼ばれる地に誕生した。そこは世界地図で見ると、イラクのペルシャ湾岸から、ティグリス・ユーフラテス河を北西にさかのぼり、シリア、レバノン、パレスチナに湾曲する弓張月の形をしている。出身を知られていない謎の民族シュメール人は、この弓張月の下弦にあたるイラク南部に定住、紀元前四千年紀、地上に初めて都市国家群を建設した。それ以来、文明とはすなわち都市、都会を意味するようになった。

 非文明的なるものは未開、野蛮と見なされる。東方のイラン高地からやって来て、殺戮と略奪をほしいままにする蛮族を、シュメール人は「山の龍」と呼んで恐怖した。南西のアラビア砂漠からは、ラクダを操る凶暴で剽悍な遊牧民が絶えず押し寄せ、都会人を苦しめた。聖書に「ノアの箱舟」として描写されているように、この三日月地帯で最悪の災厄は洪水だった。シュメール語で、災害と洪水は同じ意味で使われていた。やがて、アラビア砂漠からの無法者の侵入を、「洪水」と言うようになった、と主張する研究者さえいる。

 未開の砂漠は常に死のイメージで語られてきた。そこは不毛で無法な暗黒の世界である。イザヤ書三十章六節は砂漠を、「ほえたける雌獅子(めじし)や雄獅子(おじし) (まむし)や、飛び回る炎の蛇が住む 悩みと苦しみの道」(日本聖書協会新共同訳「聖書」)、と描く。神話では砂漠は、悪霊や妖怪が潜む黄泉の国である。

 都市と文明を自明のごとく同一視する歴史観の下、砂漠の民が文明の発展に貢献した役割は、現代に至るまで、正しく評価されないばかりか、間違って解釈され続けている。輝かしい文明の実像を明らかにしようとする長年の献身にもかかわらず、人類はいまだこの試みに成功していない。

 飢餓、貧困、疫病が克服されたわけではないが、現代ほど人間生活が豊かな時代はかつてない。だが、都会の物質的な豊かさだけが現代人に幸福を保証しはしない。最終破壊兵器、環境汚染、地球温暖化は、人類を破滅の淵に立たせている。すなわち現代人は、文明を創造したシュメール人のような、精神的エネルギーを欠いているがために、文明を維持、継承する能力をも喪失してしまった。文明を衝突させ、破壊しようとする現代人は、前四千年紀のシュメール人ほどには、文明的ではないのである。

 文明はメソポタミアに、何の脈絡もなく突然、発祥したのではない。いかなる都会も単独で、孤立して存在することは出来ず、都市文明の歴史は、その周辺の環境との関連においてのみ理解できる。

 このことを、十四世紀アラブの歴史哲学者イブン・ハルドゥーンは、「砂漠は文明の根源であり、都市はその副産物である」、と言った。

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