2012年5月26日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(8)

セム族の文明


 人類の記憶が定かではない太古の昔から、実り豊かな二大河の渓谷に人の流れが注いでいた。起源が不明のシュメール人はどこかから、征服者、支配者としてそこにやって来た。恐らくシュメール人よりも以前から、牧草と水を求めて、西と南の砂漠から、天幕に住みヒツジを追う部族が、洪水のように侵入を繰り返していた。

 彼らはシュメール人に代わって、国家と王朝を建設した。

 前三千年紀後半からおよそ二千年の長きにわたってメソポタミアで興亡した諸民族の王朝は、一つの際立った特徴を共有していた。彼らが使っていた言語はすべて、三つの子音からなる三人称、単数、男性形の、動詞の過去形を、語根と呼ばれる基本形とする(コラム1を参照)。動詞の人称変化は同一の形式をとり、人称代名詞、血縁を示す名詞、数詞、身体の部位を示す名称などが著しく類似している。

 すなわち、これらの民族は、アッカド・バビロニア語、アッシリア語、カルデア語、ヘブライ語、アラム(シリア)語、フェニキア語、アラビア語、エチオピア(アビシニア)語を話す、セム語族に所属していた。

 いまだ考古学によって実証されてはいないが、彼らの祖先、単一の種族としての原セム族は、先史時代のある時期、ある場所に居住しており、そこからセム語諸族が分かれていった、との推測が成り立つ。セム族の故郷がどこにあったのか、東アフリカ、小アジア、南メソポタミアなどの説がある。

 だが、アラビア半島のどこか、というのが一番もっともらしい。かつてのアラビアは緑の豊かな大地であったという。ヨーロッパを覆っていた氷河が北に退くと、アラビアは乾燥し、砂漠が広がった。砂漠が養える人口には限りがある。三方を海に囲まれた過剰人口は、はけ口を求めて北に移動せざるを得なかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿