2012年5月26日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(9)

セム族の文明(2)


 セム族は、凶暴な侵入者ではあったが、文明の破壊者ではなかった。最初のセム族の王朝を創設したのは、羊飼いの息子で、宮廷酌夫から身を起こしたアッカドのサルゴン王である。前十八世紀、バビロンのハンムラビ王は、世界最古の立法者の一人となった。「目には目を、歯には歯を」――返応報法、あるいは同害法といわれるハンムラビ法典は、復讐を正当化するのではなく、制限するための法だった。砂漠を突き抜け、三日月地帯を横断、約束の地カナン(パレスチナ)に定住した遊牧民の子孫ソロモンは、イスラエルの王国を極盛期に導いた。

 彼らは、セム族ではないシュメール人から、家を建てて定住すること、灌漑用水路を掘って農作物を栽培すること、とりわけ文字を書くことを学んだ。フェニキア人はアルファベットを考案して、文字の使用を簡素化した。イスラエル人はヘブライ語聖書(コラム2を参照)を記し、恐らく世界初の一神教徒となった。ユダヤ教の一派として出発したキリスト教徒は、一神教を世界宗教の一つに高める土台を敷いた。

 これは、現代人がいまだに明確に認識してはいないことなのだが、肥沃な三日月地帯はセム族の文明の舞台であり、彼らが西洋文明の礎を築いたのである。

 イブン・ハルドゥーンによれば、人間の性格は、習慣や慣れ親しんできたものの賜物である。もって生まれた性質、気質などというものはない。飢餓という極限状態に慣れ親しんできた砂漠の民は、より洗練された豊かな生活、すなわち進歩を希求してやまない。彼らは、文明を受容しさらにそれを進化させる創造力にあふれていた。メソポタミアの文明は、砂漠に源を発したのである。こうして、アラビア半島を含む肥沃な三日月地帯では、天幕に住む遊牧の民が洪水のような集団となって定住地に移動することが、人類が記憶にとどめていない時代から続いていた現象だった。

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