2012年5月29日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(15)

アラビア半島のアラブ化(3)


 そのころ、アラビア半島にはアラビア語を話す多数のユダヤ教徒、キリスト教徒が居住していた。マディーナと呼ばれるようになる前のヤスリブや、イエメンで、肥沃な農地を耕し、鍛冶として刀剣、甲冑を鍛えていたのはユダヤ人だった。イエメンとアラビア砂漠の境にあるナジュラーンは、キリスト教の中心として繁栄していた。

 聖書の物語は、アラビア半島で共通の伝承になっていた。コーランは、アラビア半島西部の伝承をアラビア語で編纂したものなのだ(サリービー)。

 悠久の昔から、マッカには、石を積み上げただけの簡素な神殿があった。子ヤギが飛び込んで入れるほどの高さしかなかった。屋根はなく、布の覆いが掛けられているだけだった。伝承では、この神殿は、イブラヒーム・イスマイール父子が創建した、と信じられていた。

 紀元一世紀後半に活躍したユダヤ人の著述家フラウィウス・ヨセフスは、アブラハムの側女から生まれたイシュマエル(イスマイール)がアラブ人たちの始祖であり、彼らはユーフラテス河から紅海の間に住んでいる、と書いている。

 アラブの系譜学者は、ユーフラテス河と紅海の間に住むイシュマエルの子孫・北アラビア人を、「アラブ化されたアラブ=アーラブ・アル・ムスタアリバ」、あるいは「アドナーン」とする。

 創世記一〇章二二―二八節によれば、セムの息子のアルパクシャド、その息子のシェラ、その息子のエベル、その息子のヨクタン、その息子がシェバ(サバ)であることから、北アラビア人より古い民族であるイエメン出身の南アラビア人を、「純血のアラブ=アーラブ・アル・アリバ」、あるいは「カハターン」(ヨクタンのアラビア語名)とする。

 日本の武士たちが清和源氏、桓武平氏を名乗ったように、血統を誇るのは人間の性である。セム族は、しばしばアダム(アーダム)にまでさかのぼる系譜を語るのだ。

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