2012年5月29日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(13)

アラビア半島のアラブ化(1)


 大海原の水門が破れ、天の窓が開く洪水は、肥沃な三日月地帯だけに起きる災厄ではない。生きとし生けるものを、地上からことごとく滅ぼし尽くす破局的な洪水は、イエメンの山岳地帯でも起きた。

 季節の移り変わりに恵まれた遊牧の民は、温潤な冬と春に砂漠や草原を周遊し、乾期の夏から秋にかけては山中にこもる。南アラビア語を話すサバ人は、そのような部族だった。中央アラビアにいたヨブを襲ったサバ人は、まだ定住してはいなかったのであろう。

 彼らは紀元前八世紀、イエメンの山中に定着し、高度の文明を誇る商業国家を建設した。彼らは、インドのスパイス、南アラビアと東アフリカ産の乳香、没薬(もつやく)を商う中継貿易で富を蓄えた。燃やすと芳香を発する乳香と没薬は、メソポタミアとエジプトの宮殿で、王侯貴族に珍重されていた。彼らは東アフリカに進出し、そこに植民地を開拓した。これが南アラビア語に近いアビシニア語を話す、エチオピアの起源である。

 彼らは国際貿易に優れていただけではない。土木建築技術でも優れた才能を発揮した。マリブの巨大貯水ダムは、紀元前千年紀の中葉に完成、それから千年の間、稼動し続け、耕作地を潤した。

 それは、紀元後一世紀、あるいは二世紀の出来事と考えられている。このダムが決壊した。サバ王国は紀元前二世紀に滅亡、その後に興ったヒムヤル人の王国は、サバ人ほどの技術をもってはいなかったらしい。修復されたダムはまた決壊した。コーラン三四章(サバの章)一六節は、この破局的な大洪水を神罰として言及している。

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