2012年5月29日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(14)

アラビア半島のアラブ化(2)


 モンスーン気候帯に入るイエメンは、周期的な降雨に恵まれる。西洋と東洋を中継する貿易で繁栄し、農産物の豊かなこの地を、ギリシャ人やローマ人は、「幸福のアラビア」と呼んだ。ダムが決壊してからは、「幸福のアラビア」どころか、不幸なアラビア、となった。過剰な人口は、はけ口を求めて北に、東にと移動した。海を渡って植民地エチオピアに移住した部族もあった。

 彼らがどこに行こうとも、そこには北アラビア語を話す先住部族がいる。もともと砂漠が養える人口には限りがあるので、そこでも人口が過剰となる。あふれた部族は、四方に押し出されていく。そこで、広大な砂漠で、「押し合いへし合いの争いが起こるのである」(アラビアのロレンス)。

 アラブの伝承家アスマーイは、この押し合いへし合いの争いを次のように記している。

 南アラビアの諸部族は、移住した「その地の先住民を略奪することなくそこに入ったことはなかった。ホザーア族は、ジュルフム族からマッカをもぎ取った。アウス族とハズラジ族は、ユダヤ人からマディーナをもぎ取った。ムンズィル家は、イラクをそこの人々から占領した。ジャフナ家はシリアを占領して支配した。イムラーン・イブン・アムル・イブン・アーミルの子孫は、ウマーンを占領した。彼らはそれまで、(イエメンの)ヒムヤルの王たちに服従していたのである」。

 ムンズィル家は、イエメンのラフム族の氏族で、紀元三―四世紀にイラクのヒーラに移住して王朝を建設した。ジャフナ家は、南部シリアに移住したガッサーン族の王朝。ペルシャはラフムに、ローマはガッサーンに、補助金を支給して従属国家とし、砂漠から侵入する略奪者を撃退する防波堤とした。

 アラビア半島を渦に巻き込む、押し合いへし合いの人口移動が何世紀間も続くことによって、その予期せぬ結果として、南アラビア人と北アラビア人が融合、もう一つのセム語族が誕生した。

 アラブ人は最も新しいセム族であるが、最もセム族らしい容貌、肉体、精神を持つ。アラビア語は最も新しいセム語であるが、最も古いセム語の特徴を持つ。何世紀もの長きにわたって飢餓の地で純粋培養された砂漠の民は、強じんな肉体と、創造力にあふれる精神的エネルギーを持つ。彼らが砂漠を突き抜け、偉大な文明を同化し、新たな文明を創造する時が満ちていた。

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