2012年5月27日日曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(11)

伝承の共有(2)


 アラブという言葉の語源は、人種や民族の違いを問わず、定住生活者と対比して、砂漠の遊牧民を意味するセム語である。アッシリアの年代記は、諸王たちが、都市や隊商を襲撃する野蛮な「アリビ」を懲らしめた、と繰り返し語っている。

 また古代メソポタミア、エジプトの書簡や碑文に「ハビル」、「アピル」と呼ばれ、セム語を話し、凶暴で、略奪を得意とする砂漠の部族が頻繁に登場する。彼らは、人種・民族の違いに関係なく、定住せず、国家権力に服従しない、社会からはみだした無法者の集団だった。彼らが職に就くときは、傭兵だった。聖書の記述は、イブリ(ヘブライ)がある時、ある所で、そのような集団に属していた、と語っている。例えば創世記十四章で、アブラハムと改名する前のアブラムは、ソドムの傭兵隊長として登場する。

 セム語の特徴は音位転換することである。ハビル、イブリが音位転換すれば、アリビ、アラブに変化する(コラム1を参照)。

 歴史学者カマール・サリービーは、ヘブライ語とアラビア語の固有名詞学、とくに地名学を駆使して、ヘブライ人の約束の地はカナン(パレスチナ)ではなく、現代のサウジアラビアの南西部、イエメンの北に位置するアシールとヒジャーズ地方だった、と考えている。アシールとヒジャーズに点在する多数の地名と、聖書のカナンの諸地名が一致しているからだ。例えば、「いと高き神」の祭司でもあり、王でもあるメルキゼデクの王国「サレム」(創世記十四章)という地は、アシールにもある。すると「いと高き神」は、そこの部族神だったことになる。

 ヘブライ人を含め、セム語を話す諸民族がアラビアの出身であることを前提とすれば、これは珍説でも奇説でもない。アシールに発し、肥沃な三日月地帯を横断して約束の地カナンに移住した遊牧の部族が、彼らの彷徨の旅を回想して聖書に記したのであろう。

 そのうち最も原初の創世記と出エジプト記の舞台が、アシールとヒジャーズだとしても、それは十分、論理的なのである。少なくとも、創世記と出エジプト記がアラビア半島西部の伝承をヘブライ語で編纂したもの、という仮説を、証明する資料はないが、それを否定する資料も存在しないのである。

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