2012年6月22日金曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(54)

サイフ・イブン・ズゥー・ヤザンの旅と、ワハリズのイエメン支配(1)


 イエメンの民が長い間、アビシニア人の抑圧に耐えていたとき、アブー・ムッラとして知られていたサイフ・イブン・ズゥー・ヤザンというヒムヤルの民が、ビザンチンの皇帝に会いにいき、彼らの苦難を訴え、アビシニア人を追い出し、イエメンを皇帝が統治するように懇願した。彼は、皇帝が望むだけ軍隊を派遣するように願い、イエメンの王国を皇帝に与えると約束した。

 ビザンチン皇帝がこの要請を無視したので、彼は、イラクのアルヒーラとその周辺をキスラ〔ササーン朝ペルシャ皇帝の呼称〕の総督として支配していたアンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルと会った。
 彼がアビシニア人による苦難を訴えると、アンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルは、毎年キスラを公式に訪問しているので、それまでアルヒーラにとどまってはどうか、と彼に提案した。
 そして、イブヌル・ムンズィルは、彼をキスラに紹介した。皇帝はいつも、王冠を収蔵していた謁見の大広間に座っていた。伝えられるところによると、王冠は巨大な穀物計量器のようであり、金と銀の上にルビー、パール、トパーズが散りばめられて、大広間の丸天井から黄金の鎖でつり下げられていた。
 王冠がそんなに重かったので、首で支えられなかったのである。皇帝は王座に就くまで、覆いで隠されていた。皇帝の頭が王冠の中に入れられ、王座に座った姿勢が安定したときに、覆いが取り外された。初めて謁見した者はだれでも、あまりの尊厳さに、思わずひざまずいた。サイフ・イブン・ズゥー・ヤザンも、皇帝の前にひざまずいた。

 彼は、「おお、陛下、略奪者が我らの国を奪いました」、と訴えた。キスラが、「それはいずれの略奪者か、アビシニア人か、それともシンド人か」、と聞くと、彼は、「アビシニア人です」、と答え、「私は、陛下に助けを求め、我らの国の王位に就いて頂くためにやってきました」、と懇願した。
 皇帝は、「そなたの国はあまりに遠く、余を引きつけるものも、ほとんどない。余は、ペルシャ軍をアラビアで危険にさらすことはできないし、そうしなければならない理由もない」、と答え、彼に一万ディルハムの銀貨を贈り、豪華なローブを着せた。すると、彼は外に出ていき、銀貨を人びとにばらまいた。
 これを聞いた皇帝は、それを異常な行為と考えて、彼に使いを遣って、「そなたは、皇帝の贈り物を捨てようというのか」、と尋ねさせた。彼は、「私にとって、銀が何の役に立ちましょう。私がやって来た国の山々は、金と銀以外の何ものでもありません」、と答えた。
 彼は、皇帝の強欲さを刺激するために、そう言ったのである。これを聞いたキスラは、助言者たちを集め、サイフと彼の企てについて意見を求めた。助言者の一人が皇帝に、次のように促した。
 「牢獄の中に死を宣告された者たちがおります。陛下が彼らを彼と共に派遣し、彼らが殺されたとしても、それはもともと陛下が彼らに定められた運命です。一方、もし彼らが彼の国を征服するならば、陛下はその国を帝国の領土に加えることができます」。
 この助言を受けた皇帝は、牢獄に入れられていた八百人の男たちを派遣した。

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