2012年6月5日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(27)

ティバーン・アスアド・アブー・カリブは、いかにしてイエメン王国を領有し、ヤスリブに遠征したか(2)


 ティバーンが東からやってきて、マディーナを通過したとき、彼はその地の民に害を及ぼさなかった。しかし、彼がマディーナに残してきた息子の一人が、裏切りによって殺された。このため彼は、街を破壊し、その地の民を皆殺しにし、ナツメヤシの林を切り倒す目的で、マディーナに引き返した。そこで、アムル・イブン・マブズールの一族で、アンナッジャール一族の親族でもあるアムル・イブン・タッラの指揮の下に、アンサールの部族が結集した。マブズールの名前は、アーミル・イブン・マーリク・イブヌン・ナッジャールで、マブズールの祖父のアンナッジャールの名前は、タイムッラー・イブン・サアラバ・イブン・アムル・イブヌル・ハズラジ・イブン・ハーリサ・イブン・サアラバ・イブン・アムル・イブン・アーミルである。

 アディーユ・イブヌン・ナッジャール族のアヒマルという男が、トゥッバア軍の一人を殺害した。アヒマルは、トゥッバアの男がヤシの林で実の房を切り取っているところを捕らえ、「ナツメヤシの実は耕作する者が所有する」、と言って、鎌で切り殺した。これがトゥッバア王を激怒させ、戦いが始まった。アンサールは、昼は敵と戦い、夜は敵を客のように遇した、と主張している。驚嘆したトゥッバアの王は、「神にかけて、我らが敵は実に度量が広い」、と言っていた。

 トゥッバアが戦いに忙殺されているとき、ユダヤのクライザ族から二人のラビがやってきた。クライザ族は、アルハズラジ一族の中の一部族であり、そのほかにアンナディール族、アンナッジャーム族、アムル族(垂れ下がった唇=ハダル=というあだ名で呼ばれていた)があった。慈悲深い神の友のイブラヒームの息子のイスハーク、その息子のヤアクーブ(またの名をイスライール)、その息子のラーウィー、その息子のカーハス、その息子のヤスハル、その息子のイムラーン、その息子のハールーン、その息子のイズラー、その息子のアザル、その息子のタンフーム、その息子のアンナッジャーム、その息子のハイル、その息子のラーウィー、その息子のサアド、その息子のアルヤサア、その息子のアッシブト、その息子のアッタウアマーン、その息子のアッサリーハ、その息子がアルハズラジだった。二人のラビは博識で、伝承にも造詣が深かった。彼らは、王の意図が街を破壊し、その地の人びとを皆殺しにすることである、と聞いてやってきた。二人は次のように語った。「おお、王よ、それはなりません。あなたが意志を貫こうとすれば、それを妨げようとする何かが起きて、直ちに報復を招くことを恐れております」。王が、その理由を聞くと、ラビたちは、この地は、後に現れるクライシュ族の預言者が、移住する地であり、預言者の家郷、安住の地となるからである、と語った。二人が神秘的な知識を持つ者であることを理解した王は、二人の言葉を大いに信じて、計画を放棄し、マディーナを離れ、そしてラビの宗教に帰依した。

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