2012年6月1日金曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(22)

イスマイールの系譜(2)


 イスマイールを先祖とする諸部族は、アドナーンの時代に分裂した。アドナーンは、マアッド、アックという二人の息子をもうけた。マアッドは、四人の息子をもうけた。その息子とは、ニザール、(マアッドがアブー・クダーアと呼ばれていたことから最初に生まれたと思われる)クダーア、コヌス、そしてイヤードである。クダーアは、イエメンのヒムヤル・イブン・サバ(サバのまたの名はアブド・シャムス)のところに行った。アラブの中で最初に捕虜を捕らえたのがアブド・シャムスであったため、彼はその意味を示すサバと呼ばれるようになった。この捕虜とは、ヤシュジュブ・イブン・ヤアルブ・イブン・カハターンの息子であった。マアッドの系譜を研究した学者によれば、コヌス・イブン・マアッドについては、子孫は生き残らなかった。しかしアルヒーラの王、アンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルは、この部族に属していた。なぜならば、アッズフリーは私に、このアンヌーマーンは、コヌス・イブン・マアッドの部族であったと語ったからである。

 サバは捕虜を捕らえる者を示す。

 伝承で、イエメンからイラクのヒーラに移住し、キリスト教に改宗したラフム族のムンズィル家の子孫。ペルシャ帝国の属国となり、「アラブの王の中の王」と称した。

 ヤアクーブ・イブン・ウトゥバ・イブヌル・ムギーラ・イブヌル・アフナスが私に語ったところによれば、アンサール〔神の使徒が聖遷した際に支援したマディーナの諸部族〕の一人であるズライク族の長はヤアクーブに次のように伝えたという。ウマル・イブヌル・ハッターブ〔第二代正統カリフ=神の使徒の後継者〕の元にアンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルの剣が〔戦利品として〕届いたとき、ウマルは、ジュバイル・イブン・ムトイム・イブン・アディーユ・イブン・ナウファル・イブン・アブド・マナーフ・イブン・クサイイを呼びつけた。ジュバイルは、アラブの最も優れた系譜学者であったアブー・バクル〔初代カリフ〕から学んだ、クライシュ族のみならず全アラブにおいて、当時、最も優れた系譜学者であった。ウマルが、アンヌーマーンはだれかと尋ねると、ジュバイルは、彼はコヌス・イブン・マアッドの一族の生き残りです、と答えた。

しかし、ほかの学者たちは、彼はラビーア・イブン・ナスル一族の子孫であるラフム族に属しているという説を主張している。真実は神のみが知ることである

 アンヌーマーンがアドナーン(北方系)か、カハターン(南方系)かで、系譜学者の意見が分かれていることを示している。イブン・イスハークが、「真実は神のみが知ることである」と言うときは、その伝承が疑わしいか、異論があることを意味する。

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