アブドッラー・イブヌッ・サーミルと坑の住人(3)
その後、ズゥー・ヌワースが、ナジュラーンに軍を引き連れてやってきた。彼は、ユダヤ教を受容するように人々に呼びかけ、ユダヤ教かそれとも死か、と迫ったので、信仰あるナジュラーンの民は殉教を選んだ。そこで彼は、坑を掘って、坑の中で信仰者たちを燃やしたり、剣で殺したり、手足を切断したりして、その数二万に近い人々を虐殺した※。ズゥー・ヌワースと、彼の軍隊について、主は使徒に啓示を下されている。
「坑の人びとは滅ぼされ、火には薪が接ぎ足される。
見よ。かれらはその傍に座り、
信者に対してかれらが行ったこと〔のすべて〕について、立証される。
かれらがかれら〔信者〕を迫害したのは、
威力ある御方、讃美されるべき御方アッラーを、
かれら〔信者〕が信仰したためにほかならない」(八五章四―八節)。
※アラブの伝承によれば、この事件は西暦五二三年ころのこと、とされている。
ズゥー・ヌワースによって殺された人たちのなかに、彼らの指導者、イマームのアブドッラー・イブヌッ・サーミルがいた、と伝えられている。
アブドッラー・イブン・アブー・バクル・イブン・ムハンマド・イブン・アムル・イブン・ハズム※が、私に語ったところによれば、ウマル・イブヌル・ハッターブの時代に、ナジュラーンのある人が、土地を利用するためナジュラーンの廃墟の一つを掘ったところ、アブドッラー・イブヌッ・サーミルの墓を見つけ、彼の亡き骸は頭の傷を保護するため手をしっかりと頭に当てて座った姿勢をとっていた、ということである。亡き骸を見つけた人が、亡き骸の手を頭から離すと、突然血が流れ出し、その手を離すと、自然に元の位置に戻り、血が止まったという。亡き骸の指には、「アッラーは、我が主なり」、と刻印された指輪がはめられており、その知らせがウマルに届くと、彼は、「亡き骸をそのままにして、墓に覆いを被せなさい」、と言い、その命令はしかと実行されたということである。
※八世紀前半に活動した第二世代の伝承伝達者。アブドッラーの父、アブー・バクル・イブン・ムハンマドは、ウマイヤ朝カリフの命令で神の使徒の伝承を収集した。父からこれらの伝承を継承していたアブドッラーは、イブン・イスハークの重要な権威筋の一人だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿