2012年6月12日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(43)

象と暦調節師の物語(1)


 アブラハは、そのころ、世界のどこにも存在しなかったような大聖堂、コッライスを、サヌアに建てた。彼はアンナジャーシィに手紙で、「おお、陛下、私は、主人のために教会を建てました。以前のいかなる王にも建てられたことのないような教会を建てました。私は、アラブが巡礼の方向をこのコッライスに変えるまで、休むことはないでしょう」、と書いた。アラブがこの手紙について聞き及んだとき、一人の暦調節師が、これに憤った。彼は、フカイム・イブン・アディーユ・イブン・アーミル・イブン・サアラバ・イブヌル・ハーリス・イブン・マーリク・イブン・キナーナ・イブン・ホザーイマ・イブン・ムドゥリカ・イブン・イルヤース・イブン・ムダルの部族の者であった。暦調節師は、〔イスラーム以前の〕無知の時代、月を変更することを生業としていた。彼らは、ある神聖月を世俗月とすると、ある世俗月を神聖月として、暦を調節していた。これについて神は、コーランで次の啓示を下されている。「神聖月の変更は背信行為の増加にすぎない。背信者どもはそのために踏み迷うのである。彼らは、ある年はこれを許されたものとし、ある年はこれを禁じられたものとして、神が禁じたもうた月の数だけは合わせたり、神が禁じたもうた月を許されたものとしたりする」(九章三七節)。

 暦調節を最初にアラブに取り入れたのは、アルカランマスであった。アルカランマスの名は、ホザーイファ・イブン・アブド・イブン・フカイム・イブン・アディーユ・イブン・アーミル・イブン・サアラバ・イブヌル・ハーリス・イブン・マーリク・イブン・キナーナ・イブン・ホザーイマといった。ホザーイファの息子アッバード、その息子のカラア、その息子のウマイヤ、その息子のアウフと暦調節師は引き継がれ、アウフの息子であるアブー・スマーマ・ジュナーダ・イブン・アウフのときに、イスラームの時代となったため、彼が最後の暦調節師になった。

イスラーム以前、巡礼が終わるとアラブでは、暦調節師のもとに集まるのを常とし、彼は、ラジャブ〔七月〕、ズルカアダ〔十一月〕、ズルヒッジャ〔十二月〕、アルムハッラム〔一月〕の四神聖月を宣言した。もしある月を自由にしたいときには、彼はアルムハッラムを世俗月と宣言し、神聖月の数をそろえるため、サファル〔二月〕を神聖月とした。もしアラブが、〔復讐や略奪のために〕マッカから帰ることを望むと、彼は立ち上がって、「おお、神よ、私は(神聖月とした)サファルを彼らのために解き放ちました。そして神聖月を来年まで延期しました」、と宣言するのだった。

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