ダウス・ズゥー・サアラバーンと、アビシニアによるイエメン支配の始まり、そしてイエメンの総督となったアルヤートの物語(1)
迫害から逃れたダウス・ズゥー・サアラバーンという名のサバ人は、馬に乗って砂漠に入っていった。彼は、ビザンチン〔東ローマ帝国〕の宮廷にたどり着くまで進み続け、皇帝に起こった出来事を語り、ズゥー・ヌワースと彼の軍隊を撃退するため、助けを求めた。皇帝は、「我が帝国が軍を派遣して援助するにはあまりに遠すぎる。しかし、領土がイエメンに近く、キリスト教徒でもあるアビシニアの王に余が手紙を書こう」、と答えた。かくて、ビザンチン皇帝は手紙を書き、ダウスを助けて、復讐するように命令した。
ダウスが、手紙を携えてアンナジャーシィ〔アビシニア王の名称〕のところに行くと、アンナジャーシィはアルヤートという名の司令官と、七万の軍隊を、ダウスと共に派遣した。軍隊のなかに、アブラハ・アルアシュラムという男がいた。アルヤートと、ダウス・ズゥー・サアラバーンは、海を渡り、イエメンに上陸した※。ズゥー・ヌワースは、ヒムヤル族と彼の配下にあるイエメン族を動員して、アビシニア軍を迎え撃ったが、撃退された。自分の信条が失墜したことを悟ったズゥー・ヌワースは、馬首を海に向け、波を越え、浅瀬を渡り、海中深く沈むまで馬に鞭を入れた。これが、彼の姿が見られた最後であった。アルヤートは、イエメンに入り、この地を支配した。
※この出来事は西暦五二五年のころとされている。
ダウスが、いかにしてアビシニア軍をイエメンに連れてきたかを回想して、あるイエメン人は、次のように語った。
「ダウスのような者になるな、彼が鞍袋に入れて来たものは宝物ではない」※。
そしてこの言葉は今にいたるまで、イエメンのことわざになっている。
※イエメンが異邦人の支配を受けていることを意味する。
ズゥー・ジャダン・ヒムヤリは、次のように詠んだ。
「もう悲しむな、涙しても走り去ったものは戻らない。
死んだ者のために、汝自身を悩ませるではない。
バイヌーンの後には、石も廃墟も残っていない。
そしてシルヒーンの後には、人はまたそのような家を建てるのだろうか」。
バイヌーン、シルヒーン、グムダーンは、アルヤートが破壊したイエメンの城で、そのような城は、ほかに存在したことはなかった。
また、ズゥー・ジャダンは詠んだ。
「平穏、それがどうした。お前は私の心を変えることはできない、
お前の説教は、わたしの焦燥を募らせる。
昔は、歌い手の音楽に合わせて楽しんだものだ、
混じり気のない極上の酒を存分にやりながら。
酒を自由に酌み交わすことは、何も恥じることではない、
愉快な仲間たちが、私の行いを責めない限り。
誰も死から逃れることはできない、
たとえ、香りをつけた良薬を飲んでも。
ハゲタカが巣の周りを舞っているような、
高いところで隠遁している修道士でさえも。
お前はグムダーンにそびえ立っていた塔※のことを聞いた、
それは山の頂のようにそびえ立っていた。
石を支えにして、巧みに建造され、
汚れのない、湿った、つやのある粘土で固められて、
中のオイル・ランプは
あたかも雷光のごとくにきらめいていた。
その壁の側にはナツメヤシの樹々が美しく、
果実の房をたわわに実らせて輝いていた。
かつては真新しかったこの城も今は廃墟となった、
炎がその美しさを飲み込んでしまった。
ズゥー・ヌワースは卑しめられ、この偉大な城を棄てた、
そして彼の民にやがて訪れる運命について警告した」。
※ヒムヤルの王が紀元一世紀ころイエメンのサヌアに建築した巨大な城郭。二十階建て、高さ百㍍の高層建造物だった。アラブの詩人は、そびえる塔に懸かる雲を「グムダーンのターバン」とうたった。
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