2012年6月5日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(25)

イエメン王ラビーア・イブン・ナスルと、二人の占い師シックとサティーハの物語(3)


 さらにシックは、サティーハと同様に質問に答えた。「イエメンを解放した者の王国は、信仰深く有徳な人びとに真実と正義をもたらす預言者によって消滅するでしょう。預言者とその民たちの統治は、審判の日まで続きます。その日は、天から命令が下され、生存している人々はすべていったん死に、そして神の命令によってアーダム以来の全人類は復活し、決められた場所に集められます。そこで、生前、神を畏敬し、その教えに従った人々は救済と祝福を授けられます。天と地そして天と地の間に存在するすべてのものの主にかけて、みじんの疑いもない真実そのものを、私は語っております」。

 二人の託宣に強い衝撃を受けたラビーア・イブン・ナスルは、必要なすべての物と、ペルシャの王、サーブール・イブン・フッラザードに宛てた手紙を持たせて、子どもと家族をイラクに送った。ペルシャ王は、彼らをアルヒーラに住まわせた。

 ササーン朝ペルシャ皇帝シャープール一世(在位二四〇―二七二年)とみられる。彼の父、アルダシール(アルタクセルクセス)の母は、フッラザードといった。これは南アラビアの諸部族が、人口増加に伴う部族間抗争、災害、異邦人の侵略といった理由で、半島全域に移動していったことを物語る伝承。シックとサティーハの予言のように、超自然的な予兆が移動の原因として語られる。アスマーイ(八三一年没)によれば、北イエメンを故郷とするアズド族のアムル・イブン・アーミルの一族は、族長がマリブ・ダム決壊の夢を見たことが移住のきっかけとなった。これらの部族は、何世代にもわたる彷徨の旅を回想して叙事詩として語り継ぎ、これがアラビアの詩文学の原型となった。

 アンヌーマーン・イブヌル・ムンズィルは、この王の子孫だった。イエメンの系譜と伝承によれば、彼の系図は、ラビーア・イブン・ナスルの息子のアディーユ、その息子のアムル、その息子のムンズィル、その息子のアンヌーマーン、その息子のムンズィル、その息子のアンヌーマーン、と続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿