2012年6月6日水曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(35)

ナジュラーンのキリスト教の起源(1)


 アフナスの元奴隷だったアルムギーラ・イブン・アブー・ラビードゥが、イエメン人のワハブ・イブン・ムナッビヒを典拠として私に語ったところによれば、ナジュラーンのキリスト教の起源は、ファイミユーンというキリスト教徒であった。彼は、高潔で敬虔かつ禁欲的な人物で、彼の祈りは天に届いたとされている。彼は、町から町へと放浪するのを常としていた。ある町で知られるようになると、次の町に行き、泥のレンガを使った大工を生業とし、稼いだだけ食べることにしていた。
 日曜日を安息の日と決めて、その日は決して働かず、砂漠の中に入っていって、日暮れまで祈りを捧げていた。彼がシリアのある村で、人目を避けて生業に従事していたとき、サーリフという名の村人が、彼の身を律した様子に気づき、彼に強く惹きつけられた。サーリフは、気付かれないようにファイミユーンの後をつけるようになり、ある日曜日、いつものように彼は砂漠に入っていき、サーリフはその後を追っていった。サーリフは、彼に気付かれたくなかったので、ある場所に隠れて彼を見守っていた。
 ファイミユーンは、立って祈っているときに、七つの角を持つため「龍」と呼ばれる毒蛇が近づいてくるのを見て、呪いの言葉を蛇に投げつけた。するとその蛇は死んだ。蛇を見ていながらも、何が起きたかを理解していなかったサーリフは、ファイミユーンを心配するあまり、隠れていることができなくなって、「ファイミユーン、龍が側にいる」、と叫んでしまった。
 ファイミユーンは、彼に顔を向けることなく、最後まで礼拝を続けた。夜が来て、ファイミユーンは村へ戻った。ファイミユーンは、自分の行為が知られてしまったことに気づいていた。
 一方でサーリフは、ファイミユーンに気づかれたことを知った。そこでサーリフは、彼に言った。「ファイミユーンよ、私はこれまであなたに抱いたほど、親愛の情を抱いたことはない。私はいつもあなたと共にいて、あなたが出かける所ならどこにでも共に行きたい」。
 彼は、「あなたがしたいように。あなたは、私がどのように生きているかを知るだろうし、もしあなたがそれに耐えられると感じるのならば、それは良いことだ」、と答えた。かくして、サーリフは彼と共に生活するようになり、村人はファイミユーンの秘密を知るようになった。
 例えば、彼はたまたま道で病人に出会うと、病人のために祈って治癒させるが、病人を治すように頼まれると、行こうとはしなかった。ある時、村人の一人に目の見えない息子がいて、その村人がファイミユーンはどこにいるかを尋ねると、彼は頼まれたときには決して応じることはないが、彼が大工を生業としていることを知らされた。
 するとその村人は、息子を自分の部屋に寝かせてその上に衣服をかけて覆い、ファイミユーンのところに出かけて行き、「家でやってもらいたい仕事があるので、来て見てくれないか。仕事の工賃を決めようではないか」、と言った。

 ペルシャ系ユダヤ教徒の息子として七世紀の半ばにイエメンに生まれた伝承家。聖書とユダヤ・キリスト教の伝承に精通していた。

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