2012年6月1日金曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(21)

イスマイールの系譜(1)


 イスマイール・イブン・イブラヒームは、十二人の息子をもうけた。彼らは、長男のナービト、カイザル、アズブル、マブシャ、ミスマア、マーシー、ディンマー、アザル、タイマー、ヤトゥール、ナビシュ、カイズマ〔創世記二五章に対応〕である。彼らの母は、ラアラ・ビント・ムダード・イブン・アムル・ジュルフミである。ジュルフミは、ヤクタン・イブン・アイバル・イブン・シャーリフ(またの名をカハターン・イブン・アイバル・イブン・シャーリフ)の息子である。イスマイールは百三十年生き、死んだときには、カアバ神殿のアルヒジュルに埋葬されている母ハージャル〔ハガル〕の傍に埋葬されたとされている。

 アラビア語の名前は、イブン(息子)、ビント(娘)、アブー(父)、ウンム(母)によって表記する。イスマイール・イブン・イブラヒームは、イブラヒームの息子のイスマイール、ラアラ・ビント・ムダードは、ムダードの娘のラアラ、と訳すべきだが、アラビア語のまま表記する。また両親は、長男の名によっても呼ばれ、イスマイールは、アブー・ナービト(ナービトの父)、ラアラは、ウンム・ナービト(ナービトの母)、とも呼ばれる。

 ノア(ヌーホ)の息子のセム(サハム)、その息子のアルパクシャド(アルファクシャズ)、その息子のシェラ(シャーリフ)、その息子のエベル(アイバル)、その息子のヨクタン(ヤクタン、カハターン)、その息子のシェバ(サバ)と続く(創世記一〇章)。

神殿の壁に接した半円形の部分。イブラヒームが、イスマイールとハージャルをマッカに連れてきて、そこに小屋を建てて、住まわせた、と伝えられている。

 ムハンマド・イブン・ムスリム・イブン・ウバイドッラー・イブン・シハーブッ・ズフリーは、神の使徒がアッスラミーに語ったことを、アブドッ・ラハマーン・イブン・アブドッラー・イブン・カアブ・イブン・マーリクル・アンサーリーから伝え聞いて、私に語った。「あなたがたがエジプトに赴くとき、その地の民族に対して好意をもって扱いなさい。なぜならば、彼らは我々と血縁関係があり、支援すべき対象だからである」。私がアッズフリーに、なぜ使徒は彼らを我々の血族としたのですか、と尋ねると、彼は、イスマイールの母ハージャルがエジプトの民だったからである、と答えた。

 マッカの名門の出身で、第二世代の最も重要な伝承家の一人。預言者と教友(第一世代のムスリム)を知る多数の老若男女に尋ねて、多数の伝承を収集した。彼と親交のあったイブン・イスハークは、彼を最も重要な伝承伝達者の一人としている。

 アード・イブン・アウス・イブン・イラム・イブン・サハム・イブン・ヌーホと、アービル・イブン・イラム・イブン・サハム・イブン・ヌーホの二人の息子であるサムードとジャディース、ラーウィズ・イブン・サハム・イブン・ヌーホの三人の息子であるタスム、イムラーク、ウマイムは、すべてアラブの民である。ナービト・イブン・イスマイールは、ヤシュジュブをもうけ、その系譜はヤアルブ、タイラハ、ナーホール、ムカウワム、ウダド、アドナーンにつながる。

 系譜学者はアラブ族を滅亡した部族と、現存する部族の二つに分け、これらは滅亡したと信じられていた古代アラビア部族の名前。アードとサムードは、神から遣わされた預言者に従わなかったため、神罰によって滅ぼされた民として、コーラン七、二六章などが言及している。ジャディースとタスムは、ヤマーマ地方の部族で、歴史家タバリーによれば、部族抗争の末、ヒムヤル王朝の介入を招き、両部族とも滅亡させられた。

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