2012年6月5日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(26)

ティバーン・アスアド・アブー・カリブは、いかにしてイエメン王国を領有し、ヤスリブに遠征したか(1)


 ラビーア・イブン・ナスルが死ぬと、イエメンは、ハッサーン・イブン・ティバーン・アスアド・アブー・カリブの手に落ちた。(ティバーン・アスアドは、トゥッバア王朝の直系トゥッバアの最後の王で、クリ・カリブ・イブン・ザイドの息子だった。アルアランジャジの息子のアルハマイサア、その息子のアイマン、その息子のズハイル、その息子のアリーブ、その息子のカタン、その息子のアルガウス、その息子のワーイル、その息子のアブド・シャムス、その息子のジュシャム、その息子のムアーウィヤ、その息子のカイス、その息子のアムル、その息子のサハル、その息子のザイド、その息子のカアブ、その息子のサバアル・アスガル、その息子のサイフィーユ、その息子のアディーユ、その息子のアッリーシュ、その息子のアブラハ・ズルマナールの息子のアムル・ズルアズアールの息子がザイドであり、彼が最初のトゥッバアの王であった。カハターンの息子のヤシュジュブ、その息子のヤアルブ、その息子のサバアル・アクバル、その息子のヒムヤルの別名が、アルアランジャジであった)。

 ティバーン・アスアド・アブー・カリブは、マディーナに遠征し、そこから二人のユダヤ教徒ラビ〔聖職者〕をイエメンに連れてきた。彼はカアバ神殿を修復し、布でそれを覆った。彼が統治した時代は、ラビーア・イブン・ナスルより前のことである。

 イブン・ヒシャームは、イブン・イスハークの原典を校訂したとき、天地創造からローマ、ペルシャ、ヒムヤル、ラフム、ガッサーン王朝までの歴史を省略したので、ここでティバーン・アスアドが突然、登場する。イブン・イスハークと、イブン・イスハークを典拠とする諸学者を典拠として、タバリー(西暦八三九―九二三年)が著した『ターリーフッ・ルスール・ワル・ムルーク』(使徒たちと諸王の歴史)によれば、ティバーン・アスワドと、ハッサーン・イブン・ティバーンは、ヒムヤルの王で、イエメンから中国、チベットまで遠征した、という英雄伝説の主人公。この伝説は、アレクサンダー大王の遠征記の影響を受けて成立したと考えられる。ティバーンは、碑文に登場する実在の王で、どこかへの遠征の往路、おそらくマディーナの部族に朝貢を強制するため、王子の一人を残して行き、王子が殺されたので、イエメンへの帰路、その復讐を果たそうとしたと考えられる。

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