2012年6月5日火曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(31)

ティーバーン・アスアド・アブー・カリブは、いかにしてイエメンを領有し、ヤスリブに遠征したか(6)


 その後、ティバーン・アスアド・アブー・カリブは、軍団と二人のラビを伴ってイエメンに向かって出発し、故郷に到着すると、彼は人びとに彼の新しい宗教に帰依するように呼びかけた。しかし、人びとは、そこで行われていた火の試練の神判で決着が付くまで、新しい宗教に入信することを拒否した。

 アブー・マーリク・イブン・サアラバ・イブン・アブー・マーリクル・クラズィーが、私に述べたところによると、イブラヒーム・イブン・ムハンマド・イブン・タルハ・イブン・ウバイドッラーは、ティバーンがイエメンに近づいたとき、ヒムヤルの民が道を封鎖し、ティバーンが彼の民の宗教を放棄したとして、通過を拒否した、と語っている。

 マディーナのユダヤ部族・クライザ出身の伝承家。彼の父、あるいは祖父が預言者のマディーナ聖遷後、イスラームに改宗した。

 ティバーンが、彼の宗教であるユダヤ教は彼らの宗教よりも優れているため、ユダヤ教に入信するように彼らに呼びかけると、彼らは、火炎の試練の神判に従うことを提案した。彼らは、論争が起きたとき、火炎の神判にかけると、有罪であれば炎に焼き尽くされ、無実であれば安全が保障される、と信じていた。そこで、ヒムヤルの民は彼らの偶像と神聖な物体を抱えて、二人のラビは聖書を首の回りに架けて、炎が燃え上がる場所に進んだ。いざその時となると、ヒムヤルの民は怖気づいて退こうとしたが、同志たちが励まし、断固として神判を受けるように要求したので、炎が彼らを飲み込むまでそこにとどまった。偶像と神聖な物体、それらを抱えていた人々は、焼き尽くされた。だが、聖書を携えていた二人のラビは、おびただしい汗をかきながらも、炎の中から無事に姿を現した。その時からヒムヤルの民は、王の宗教を受容した。これが、イエメンのユダヤ教の起源である。

 当時、炎を後退させることができる者は、最も価値のある信頼を勝ち取ると、信じられていたことから、二つの宗教の代表者たちは、炎を後退させるため炎に近づいただけであったと、別の報告者は私に語っている。ヒムヤルの民が偶像を携えて、炎を退けるために近付くと、炎は彼らに向かって噴出し、彼らはそれに耐えることができずに後退した。次に二人のラビがトゥーラ〔律法〕を唱えながら火に向かっていくと、噴出していた炎は後退し始め、火元に戻った。その後、ヒムヤルの民は、ラビの宗教に帰依するようになった。しかし、どちらの報告が正しいのかは、神だけがご存知である。

 イエメンの人びとが多神教徒であった時代に、崇拝して犠牲を捧げ、託宣を受け取っていた神殿の一つが〔サヌアの〕リアームであった。ラビは王に、リアームは人びとをそのように欺いている単なる悪魔にすぎないと語り、それに対処する許可を願い出た。許可を得たラビは、神殿にいた黒犬を引き出し、それを殺した。少なくともこれは、イエメンの人びとが伝えていることである。彼らは神殿を破壊し、今でもその廃墟には、そこで流された血の痕跡が残っている、と私は教えられている。

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